知識の蓄積や何かでもそうなのだと以前にどこかで書いたが(参照『全く何も分からなくなる』)、小さいころから今の今までずっと、自分の人生、自分のやっていることだけが嘘っぱちで、周りがやっていることはひとつ残らず自然で、本当だというように感じてきた。
学生時代、教室の、自分の席に座るのでさえ、周りの人はあんなに自然で、違和感なく行っているのに、自分だけが、面白くもなんともないコントを繰り広げているような気がしてならなかった。ちゃんと風景に溶けていけないのだ。
ただ、この嘘っぱちの感覚に長いこと付き纏われたおかげで、良いこともひとつだけあった。それは、今までに、自分より大きな共同体と自分を同化して考えてみたり、皆がやっていることと同じことをやってみたりした結果として、それらを実践しないことが嘘っぱちの感覚を生み出しているのではない、ということに気づけたということだ。
嘘っぱちの感覚というのは生来的なもので、外部の状況がどう変わろうが、どこに所属を移そうが、消えるものではないのだということを学んでから、変にバタバタとしなくなった。