<124>「次々に飛ぶ自然」

 この野郎っ、腹が立つなあしかしあれはどうなっていたんだっけ・・・帰ったら何を食べようかな、いや許せんな本当に、というように、様々な意識が何の脈絡もないまま入れ替わり立ち替わりすることの方が多く、激しく怒りを覚えるようなことがあっても、そのまま意識が怒りのままということはほとんどない。現れたり消えたりまた現れたりし、その間には実にいろんな意識、というよりは映像とか閃光とかいうものが去来する、どちらがノイズであるかはほとんど区別がつかない。しかし、さっき怒っていたかと思ったら、急に落ち着いて、そういえばあれはどうなっていたっけ、この前のテレビが面白かったんだよ、何だよそれはおかしいじゃないか、と次々に飛び移る人を目前にしたら、

「この人は情緒不安定なのじゃないか?」

と思うだろう、しかし他の人はどうであれ、私はそういう意識の移り方をする、それをただ前面に出さないで、怒ったらある程度の時間は他の状態に(表面上は)飛ばないよう努めているのは、

「さっきまで怒っていたのに急に他のことに飛んだら、相手が不安がるだろうな」

という遠慮があるからだ、つまり社会内の個であるという意識から来る配慮だ。であるから、怒っていたと思ったら急に他のことに移っていたりするのは、情緒不安定なのではなくて、社会内の個であるという意識が稀薄になったか、あるいは意図的に訓練して社会内の個であることを超越したが為なのではないか、それを情緒不安定と呼ぶのかもしれないが・・・。しかしそういった移り方をする当の本人が別に何らの痙攣もなく、落ち着いていることを考え合わせると、どうにも疑問は残る。ほら、例えば、わっと皆の前で泣き出してしまったばっかりに、周りの人はオロオロとして、どう扱ったらいいかと思案しているのにもかかわらず、泣いた本人はその一瞬の爆発でスッキリしてしまい、涙は流れてくるものの、もうほとんど冷静になっていて、何故周りの人はそんなにもオロオロする必要があるのだろうかと不思議な気持ちになる時間があるだろう、それだ。