鷗外は秀麿として書いたのだから、秀麿の動きとして考えた方がいいのかもしれない、全く分離して考えていくのもおかしいかもしれないが、『かのように』に留まるのは秀麿であって、鷗外は変化していたであろうから、この作品に拘る以上、秀麿として付き合った方がいい、それがどうしたということだろうが、秀麿が何故、自身の仕事を進めていく上で父親との和解にあそこまで拘ったか、あれだけ確信していながら、何故あんなに友人にぐちぐち言っていたかが分からなかったが、秀麿は、思った以上に実際家で積極的で謙虚であったろうと思う、そこに私が自身の意識を持ちこむから分かりづらかった、秀麿は諦めの気分を持っていたかもしれないが、決して諦めてはいなかったし、『「駄目、駄目」』と言われても、なおその先で、諦めはしなかったろうと思う、かのようにを土台にするより仕方ない、何故なら何もないのだから、それは消極的でも何でもない、かのようにを大事と見る、それは無から有をつくりだすこと、その作業を信奉する、そしてそれは世の中に認められている価値が不動と考えるとかどうとかいうことではなかった、あると見て進むより仕方ないじゃない、世を暗闇にするつもりか、そうしてかのようにを土台にして、社会の中でなんとか自身の仕事を成り立たせようと努力した(あるいはしている)、そうすると、父親との和解及び友人との問答も必要になってくる、何故ならそれは社会だからだ(秀麿にとって父親は実社会よりも社会だった)。
しかしそんなものは必要ないではないかと、私は考えていた、何故なら『かのように』に接したとき、遊びに思いが至ったからである、つまり、とりあえず立ち上げるしかないから立ち上げた、という方法を、決して否定しないところまでは同じだったかもしれないが、ではその中で、自身はかのようにを土台にしてどうするか、という方向に考えが進むことはなかった、何もないということそのものに目が向いた、何もない以上はやることなすことが遊びであるよりほか、どうなりようもない、つまり、土台、無から有を形成するという無理をしなければ、社会は崩壊してしまう、だから壊すとか、壊さないようにしようとかではなく、それを本気で信じている人もいれば、かのようにを土台にしてなんとかやりくりしている人がいるのだから、それの邪魔をしない、しかし自分は、それらのものが皆とりあえずのものである以上、真面目には受け取らないという方向に進んだ、遊びであること、そのこと自体を考える、何もないというのはどういうことかと。
それは当然不遜であり、謙虚ではあり得ない、
「ああ、どうやら社会というものが成り立っているらしいですねえ、ええ、私も当然そこに属していますし、嘘だなんて思っていませんよ」
と言いながら、ヘラヘラしているのだから、それがひとつの幻想の形であることを知りつつ。何もないこと、遊びである以外に何だというのだ、ということを中心に据えて考える、その姿勢は、所謂「社会」の営みとはズレていく、何故なら社会は、いかに無から有をつくりだして、それが幻であったとしても上手く回転する仕組みとして機能させられるか、というところで思考しているので、一体全体何にもないとはどういうことなんだという話は、除いて考えないようにしているからだ、しかし、どうも遊びであるより、というより遊びでしかあり得ないんではないかという話は、個人には用がある、ということは、社会には用がないはずなのに、それを構成する全ての人々、そのひとりひとりにはいちいち用があるのだとも言える、前にも言ったように、そんなことを中心に据えて考えているのは、社会を真面目に受け取らないという意味で不遜だが、しかしそれにしか関心が向かないとすれば・・・。多くの人が知らず知らず避ける領域ではあるだろう、しかし一番人間に密接な事柄でもある、あなたも私も遊び・・・。むろん、当たり前のことだが、それを中心に据えている限り、ヘラヘラしながら関われているつもりでいた社会から、気づかないうちにあっという間に落っこちてしまう危険もある、無を中心に据える以上はそういう危険はやむを得ない、しかしそうではないかという疑いに、飛びついているのか飛びつかれているのか・・・。