<125>「そのみっともなさの格好良さ」

 それがカウンターパンチ、バランスを取るための姿勢であることは分かるのだが、普通に生きている人が一番だよと、特殊な立場に居ながら言ってしまうことの格好悪さ(必要に応じて「俺には普通は無理だからさ」と添えてみたりもする格好悪さ)はちょっと見るに堪えない、同じ立場に立たされたとしたら自分もやってしまいがちだと思うから余計にそうだが。どうだ、俺はすごいだろ? そこいらの一般人といっしょにしてもらっちゃあ困るやな、天才だからねと、自分で言ってしまう格好悪さの方が、圧倒的に格好良い。人はそれを傲慢としてしか見ないかもしれないが、それだけではない、自分で言い切る困難、もしその立場に立たされて同じことを言えるのかと問われたら? いやいや、僕はまだまだとつい言ってしまうのでは・・・。それに、本当に他人が天才だと評価している場合でも、当の本人には自身の足りないところなんてもう有り余るほど、痛いほどに見えている、そこをぐいと超えて、あるいは剽軽に、また大真面目に、天才だと言い切ってしまう、そのみっともなさの格好良さはちょっとほかにない。