<2472>「日々が自生すること」

 私は手になって、

 生まれて、

 早い時刻、

 身体が紛れていくところ、

 身体が静かに始まって、

 遠くへ着くところ、、

 私はふたつの境目に生まれて、

 交流子、

 あるまとまりと、

 反応のなかで爆ぜたもの、

 私が時刻を咥えること、、

 身体が、粒で、、

 私には波が、、

 身体が、

 いくつも始まって、波が、、

 大変に増えている、

 あたらしく、そばから、、

 

 増えてきて、重ねて、、

 あいだに入り、、

 私は長い声、、

 今エネルギイ、

 振動が集まり、、

 ものの先へと伝うこと、、

 身体から先へ伝うこと、

 OUI、という信号が、伝うこと、

 肌へ当たること、

 肌へ向かうこと、

 回転すること、

 自生する、

 日々が日々、自生すること、、

 私のなかへ溜まり、

 私のなかで束、

 このプウルのなかで華、

 華は、揺れる、、

 あたしはプウルの表面、

 なか、

 底面、、

 むしろ暗、暗へ、、

 ひとり、ひとり、

 参じている、、

 私は、参じている、、

 この響きのなかへ、いくらでも、

 いくらでも、集まり、

 根が、揺らぎ、、

 呼吸により、

 水を吸う、、

 水を吸ったばかり、、

 この華やかな、暗部で、、

 

 あたしは暗時の風、、

 身体からそば、

 回転、掛け声、、

 外へ揺らぐ、、

 声など、、

 まともにあたりへ見えていて・・・

<2471>「情報が溶ける」

 温度が中心にあり、、

 また剥がれたものを持ち、

 あたしはそのなかで涙を流す、、

 ああ、ここか、、

 ここからまた漏れていくんですね、、

 運動は飽きない、

 常に動いている、、

 常に身体のなかにいる、、

 常に私は起立し、

 夢のなかに入る、、

 

 お前のその表情の、

 かたまりのなかに、

 すっかり入ってしまい、、

 私は沈黙した、

 どこに目標が定まったのかも分からない、

 おしゃべりが、続く、、

 私は存在の底で、

 はっきりと出来上がり、

 あたたまったままでいる、、

 身体はまだそこに掴まったままでいる、、

 どうと招び、

 どうと招び、、

 ひとつ、

 種なと用意されたら、、

 そのなか、そのなかへ、、

 私は駆ける、

 身体は徐々に滑っていく、、

 あたらしいコミュニカシオ、

 あたらしい沈黙、

 拒否、

 その皮膚は生まれたばかりで、、

 別物の様子を、、

 どうここへひらく、、

 あなたはまっすぐに出たようだ、

 あたしはここにいるから分かる、、

 あなたは回転したいだけ、してきたようだ、

 私もされるがままであったので、よく分かる、、

 

 溶けるなんてことを言うでしょう、、

 でも私は一方で、

 どこまでもかたまりこんでいますよ、、

 それはとかすとかさないの選択肢を、

 まるでもっていないように見える、、

 あなたが駆けて、

 ここにすっかりあらわれてしまったあとのように、

 見える、、

 あなたはそのイメージの、

 線分の、、

 空白の呼吸を掴まえるみたいに見える、、

 あなたは無表情で、

 そのさなかへ生きている、

 熱を持ってくる、、

 情報が溶ける、、

 身体と同じになる、

 手を挙げる・・・

<2470>「自分の欲望を上手く捉えることは」

 私は、話したいと思っていたのだろうか。話したくないと思っていたのだろうか。

 

 自分の欲望を正確に掴まえることは難しい。

 中学生くらいのとき、

「私はもっと話したいのに、私と話していると、クラスメイトが途中で遠慮するように話すのをやめてしまうのが気掛かりだ、何故だろう」

と思って悩んでいたことがあった。

私は話したいのに、と。

 

 そんな悩みを持ちながら、他の場面でクラスメイトたちと話していると、たまに、

「あ、私はもう話すのをやめたほうがいいかな」

と思わされることがたまにあることに気がつく。

 

 そのときの相手を見ると、明らかに「内側に閉じている」のがよく分かる。だから、これ以上は入っていけないような感じがして、その先を、遠慮せざるを得ないのだ。

 

 そういう経験をして、やっと、

「ああ、私も同じように、明らかに内側へ閉じているから、話しかけてくるクラスメイトも途中で遠慮していたのだ」

ということに気がつけた。

 私にこれ以上話しかけてほしくない、というメッセージをクラスメイトは受け取っていたのだなと。

 

 でも、ちょっと待ってほしい。

 私は、話したいと思っていたはずではないか。

 そうして、その欲望には全く反するような欲望を、身体が、全く私の知らないところで実現しているという状況がある。あった。

 この場合、私の欲望はどこにあるのか。

 私の欲望はどちらなのか。

 もっといえば、私の欲望はどちらかが本当でどちらかが嘘だと決めることが出来るものなのか。

 

 ちょっと前なら、

「身体というのが本当の素直な欲望で、意識はそれを上手く捉えきれていないがため、思ってもいないことを欲望するのだ」

という形で片付けていたと思う。

 

 でも今は、そのように考えていない。

 欲望は、素直な形で矛盾なく、短い一文で表せるようなものとして、ある訳ではないのではないか。

 というように今は思っている。

 

 つまり、具体例に寄せれば、話したいと思っていたことも、話しかけてこないでほしいと思っていたことも、紛れもない本当の欲望だったのではないかと思うのだ。

 もっと言えば、そんなのどちらでもいいとか、あるいはそのことについて何も考えていないであるとか、そういうものが雑多に混じり合ったものが欲望というものの実相に近いという感覚がある。

 

 よく、

「素直になれよ」

という言い方を見聞きすることがあると思う。

 私は昔から、これを言われると戸惑ってしまうのだったが、何故戸惑うのかまでは分からなかった。

 

 でも今は、少しだけ分かる。

「素直になれよ」

は、まさに、

「お前の欲望を、短い一文で、矛盾のない形で表明せよ」

という要求なのだ。

 だから、欲望というものを雑多なまとまりとして感覚している側の人間がそのメッセージを聞くと、

「お前のなかにあるその欲望から一部分を切り出して、ここに我々の納得の行く形として提出してみせなさい」

と言われているような気がしてしまう。

 そして、そういう形で表された欲望は、たしかに私のなかの欲望の一部なのだが、それはどこまで行っても一部でしかないから、とても不完全なものに映るのだ。

 そうすると、いわゆる社会的に「素直」な表明をして、それにより、

「素直になったじゃないか」

という反応を持って受け容れられると、とても居心地が悪い。

その欲望は嘘ではないのだけれど、結局一部でしかないから、相手に対してどこまでも嘘をついているような気持ちになってくる。

 社会的な文脈を排して(つまりすぐに納得出来るような形で提出しろという要求を排して)、自分の欲望に本当に素直になろうと思うのなら、雑多なもの、絡み合いすぎてすっきりとは表し切れないものに、あくまでも粘り強く、時間をかけて付き合っていく必要があるのではないか、という気がしている。

私の欲望とは何なのか。

<2469>「粒の光の中」

 遠いところに水を落としたんです、、

 誰か、

 その印のなかだな、と思って、

 底の方を、

 覗いたんですが、、

 いや、声はしません、

 私がただ身体を簡単に放って、、

 その、

 短い物事のなかで過ごそうとするときに、、

 私は何と言ったら良いか、、

 振るえて、、

 その端へ身体を結んだのだと、

 思えば思えるような、

 時刻の興奮だったのです、、

 

 あァ、

 いくつもの砂を含み、、

 そのなかに埋もれ、

 身体は最大、、

 複数の時空の音、、

 物が喜び、、

 ここへ渡ってくるところなどを、、

 確かめ得ると、する、、

 あなたは声を出す、、

 どこへでも渡る可能性のある、

 大きな声を、

 身体は破裂して、

 ゆっくりと光り出す、、

 私がどこを見ているか、

 はっきりとは分からないまま、、

 今、

 その下に潜り、、

 続けざまに声を出す、、

 道はあたたまる、

 誰かが風景を指差す、、

 私もそちらを見る、、

 長い時刻の果てに、

 そこを見て、

 ぼゥッとする、、

 

 ああ、しらない、、

 私はこのままのびることも、、

 はっきりとは、しらない、、

 いくつかある印と、

 知ってはいるのだけれども、

 あとは後ろ、

 あとはぼやけた光の中、、

 光の中に住み、、

 あたしは粒としてうごく、、

 どうしても、うごく、、

 身体ならここ、、

 ここのあたりまえの黙り方が、、

 繋がり、

 繋がったままの仕方で、

 潜る、、

 ひとは、潜る・・・

<2468>「『世界で一番ゴッホを描いた男』~アジアンドキュメンタリーズ」

 

 

 中国はダーフェンで、20年にわたり、ゴッホの複製画を制作し続ける職人たち。

 

 オランダ、アムステルダムから依頼は殺到し、月に700枚製作することも。

 

 さぞ儲かっているのかと思いきや、絵の単価はそれほどでもなく、また、絵の具代や工房の家賃などでお金は飛び、貧乏な暮らしぶり。

 

 アムステルダムに住む人から、現地で本物のゴッホを見に来ないか、と誘われ、その気になるが、お金を理由に断念しそうになる。

 

 しかしなんとか工面をつけ、少ない人数で(工房の主人は自分の奥さんや子どもを連れて行くことまでは叶わなかった)アムステルダムに向かう。

 

 アムステルダムで、自分の複製画に出合い、ゴッホの原画に出合い、精神病院、最後は墓まで辿り着く。

 

 その先にあるのは・・・。

 

 

 工房の主人シャオヨンは、お金儲けがしたくて、ゴッホの絵を複製している訳ではない。

 ゴッホの精神に共振して、ある種ゴッホの絵のなかに、のめり込んでいる。

 だから夢にも自分の描いたゴッホが何度も出て来る。

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだと。

 

 何故ここまでゴッホに惹きつけられるのか。

 主人は毎年故郷に帰っている。

 その故郷で、主人の家族たちと囲む食卓は、ゴッホの『馬鈴薯を食べる人々』そのままである。

 田園風景もまたしかり。

 ああ、この人は、ゴッホの絵の世界のなかに生まれて、そこで幼少期を過ごしてきた人なんだ、ということが分かる。

 

 私は毎日毎日あなたの絵を描いて、あなたに同化しそうです。

 

 自分は職人であって、決して芸術家ではないのではないか。

 

 しかし、強烈にゴッホと出会ってしまった人が、そういった枠組みの中で満足し切ることは出来ない。

 

 ダーフェンの街にも、独自の絵を求める気風が生まれ始める。

 

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだ。

 

 お前のひまわりはどこにあるんだ。

 

 俺は自分のひまわりを描くことにしたよ、と同じ職人の友は言う。

 

 では、私は、どうするんだ。

 

 私は芸術家なのか。

 

 私はゴッホのように悲惨な最期を迎えたくない。

 だから写実をちゃんと勉強したいんだ、と若い女性が泣きながら言う。

 

 あなたの気持ちも分かる、だからそのまま、自分の道を進みなさい、私も泣きそうだと工房の主人は言う。

 

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだ。

 

 私の人生は、芸術なのか。

 

 ゴッホは芸術に人生を捧げた。

 

 お前は違うのか、お前は職人なのか。

 

 お前も、そうではないのか・・・。

 

<2467>「あなたは一点の熱に干されて」

 形へ、

 あいだへ知らない声を出している人々の、

 その、まわりを、

 あたしは含んで、

 ゆっくりと液にして、、

 また、

 そのなかにかえる、、

 かえったらまたはげしく生まれてくる、

 なのなかへ、、

 私はアァ、と発する、、

 ひとつの姿、

 身体のなかに通路、

 水は走る、、

 水はまた道を得る、、

 得た水で膨らむ、

 静止して、膨らむ、、

 ここが身体で良い、

 

 ここが発露で良い、

 ここが、長いジニチで、

 もう、めくれる、、

 なにか欲望、、

 私はあたらしい熱で干されているだけ、、

 これは欲望と呼べるものですら、

 ないのかもしれない、、

 あなたはただ環境下の、、

 その流れを欲していただけかもしれない、

 現実の身体をひきずりながら、

 そこにいくらも液、、

 そこにいくらも含まれて、、

 あたしは踊り、

 眠っていただけなのかもしれない、、

 ここへ着き、

 ひとつの身体は晴れる、、

 あたしはひたすら訊いている、、

 ここが長く生まれる、、

 潜って、

 潜っていたものが浮かぶ、、

 この一点に、

 私はかえる、、

 

 私はかえって彼の身体を掬う、、

 あなたは一点の熱に干されて、

 そこで寝そべっていただけですね、

 もっと前へ戻ろう、、

 あなたはこの停滞する、

 ざわざわとした時間が、

 何故奇妙に不快なのか、、

 分からなかったのかもしれません、

 生きているだけ、

 ただの日常生活を、

 生きているだけでは足りないと、

 あの人は言いました、、

 その通りだとは思いますが、、

 あんまり集中して見ているので、

 分かれ目が分からなくなることもあるんです・・・

<2466>「少し誰」

 その同じ時刻にいることになり、

 私は目標物を見て、、

 少し揺らぐ、

 あなたはまともに流れ、、

 ここに掴まっているのは残りだと、、

 いった、そばから、

 空隙、、

 ひとつの身体のその透明な時刻へ、

 わたしはあらたに、、

 なにだかしらないが、

 ここに来て、

 わたしはあらたになっている、、

 

 情感とはなにだ、

 よろこびとは、、

 私はどこまでも肌の中であたたまる、、

 揺らぎながら、

 あたしは凪か、、

 どうだろう、

 声が地底深くまで沈み、

 粒を隠す、

 泡立ちを隠す、、

 あなたはまたここの回転に付き合っている、、

 おい、

 どこからの漏れだ、これは、と、、

 頻りに訊いている、、

 なに、肌の剥がれたあたり、、

 あたしが猛スピードで生まれて、

 時間が不可逆だと考えている辺り、、

 ごぼごぼと、

 音のする辺り、、

 あたしは巡る、

 ひとしい泡のなかを、、

 回転が、

 生まれ出しているかもしれないのだからさ、、

 私は中心に声を出して、

 このイメージを続ける、、

 私はこの映像へ、

 続くことになる、、

 

 肌の分だけ育ち、

 あたしはまんなか、

 あたしは具体物、、

 具体物が動くということ、、

 それが透明な場所に入り、

 やけに静かであるということ、、

 ここはどこだろう、

 私は手を見、

 少し分厚くなっているのを知る、、

 少し誰だ、

 少しこれは誰だ、と言える、、

 なにからなにまで、

 この響きのなかで育つのに、、

 私はなにだろう、

 泡立ちを求める液なのか、

 このなかで・・・