<2468>「『世界で一番ゴッホを描いた男』~アジアンドキュメンタリーズ」

 

 

 中国はダーフェンで、20年にわたり、ゴッホの複製画を制作し続ける職人たち。

 

 オランダ、アムステルダムから依頼は殺到し、月に700枚製作することも。

 

 さぞ儲かっているのかと思いきや、絵の単価はそれほどでもなく、また、絵の具代や工房の家賃などでお金は飛び、貧乏な暮らしぶり。

 

 アムステルダムに住む人から、現地で本物のゴッホを見に来ないか、と誘われ、その気になるが、お金を理由に断念しそうになる。

 

 しかしなんとか工面をつけ、少ない人数で(工房の主人は自分の奥さんや子どもを連れて行くことまでは叶わなかった)アムステルダムに向かう。

 

 アムステルダムで、自分の複製画に出合い、ゴッホの原画に出合い、精神病院、最後は墓まで辿り着く。

 

 その先にあるのは・・・。

 

 

 工房の主人シャオヨンは、お金儲けがしたくて、ゴッホの絵を複製している訳ではない。

 ゴッホの精神に共振して、ある種ゴッホの絵のなかに、のめり込んでいる。

 だから夢にも自分の描いたゴッホが何度も出て来る。

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだと。

 

 何故ここまでゴッホに惹きつけられるのか。

 主人は毎年故郷に帰っている。

 その故郷で、主人の家族たちと囲む食卓は、ゴッホの『馬鈴薯を食べる人々』そのままである。

 田園風景もまたしかり。

 ああ、この人は、ゴッホの絵の世界のなかに生まれて、そこで幼少期を過ごしてきた人なんだ、ということが分かる。

 

 私は毎日毎日あなたの絵を描いて、あなたに同化しそうです。

 

 自分は職人であって、決して芸術家ではないのではないか。

 

 しかし、強烈にゴッホと出会ってしまった人が、そういった枠組みの中で満足し切ることは出来ない。

 

 ダーフェンの街にも、独自の絵を求める気風が生まれ始める。

 

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだ。

 

 お前のひまわりはどこにあるんだ。

 

 俺は自分のひまわりを描くことにしたよ、と同じ職人の友は言う。

 

 では、私は、どうするんだ。

 

 私は芸術家なのか。

 

 私はゴッホのように悲惨な最期を迎えたくない。

 だから写実をちゃんと勉強したいんだ、と若い女性が泣きながら言う。

 

 あなたの気持ちも分かる、だからそのまま、自分の道を進みなさい、私も泣きそうだと工房の主人は言う。

 

 俺の絵を描いて、どういう気持ちなんだ。

 

 私の人生は、芸術なのか。

 

 ゴッホは芸術に人生を捧げた。

 

 お前は違うのか、お前は職人なのか。

 

 お前も、そうではないのか・・・。