<2885>「『明けまして、おめでたい人』」

 アップリンク吉祥寺にて。

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 この予告を、おそらく1か月半前くらいにたまたま見て、

「どんな話かは分からないけど、ここには何かあるぞ」

と思って、昨日見に行ったのだった。

 

 何かがあるどころではなかった。

 良い意味で、だと思うが、ずっとこの映画を引きずっている。

 

 

 ここからは、本編の内容を含むので、何も知らずに見たい方はお気をつけください。

 

 

 

 

 いろいろ、特別若い頃の、どうしようもない部分とか、でも楽しかったりとか、焦ってたりとか、そういうディテールの部分もとても素晴らしかったのだけど(映画的に、セリフを立てるような方法を全く排除して、普通に生活してしゃべっている人をそのまま録っている感じとか)、一番まともに食らってしまって、今でもまだ上手く整理がついていないのが、

「人との付き合いで、相手の核に触れる場面、相手の人生の軌道を変える場面に出くわすと、途端に急ブレーキがかかる」

主演の山脇さんの、生き様に関する部分だ。

(この日は出演者によるアフタートークがあったのだが、この映画はほぼ、山脇さんに起こった実話を元に構成されているという)

 

 山脇さんと良い仲になる女性とのシーンの数々。

 二人はとってもお似合いだし、楽しそうだ。

 しかも山脇さんはいい男だし、盛り上げ上手だ。

 でも、山脇さんは、絶対に相手の核の部分には踏み込まないし、ずっと周辺だけを回っている感じがする。

 

 そして、その女性と、その女性が縁を切ろうかどうか悩んでいる、元彼?とのシーンの数々。

 二人は全然噛み合っていないし、元彼の挙動も変だし、あんまり楽しくなさそうだ。

 でも、元彼の方は、方法は拙く、見ていられないほどだけど、なんとか相手の核に踏み込もうとしている。

 他人の人生の軌道を、変えようとしている。

 

 結局、山脇さんは、その女性と良い雰囲気のまま、あっさりと振られてしまう。

 格好良さや、盛り上げ上手なところや、優しさや、そういった諸々は、1人の人間の人生を変える覚悟、凄みの前では、全くもって無力だ。完敗してしまう。

 

 映画を見ていて、私は何度、

「山脇さんといるときの方が、その女性は何倍も楽しそうだよ。どうして、俺のところに来いと言わないのだろう」

と思ったことだろうか。

 でも、言えないし、仮にその文言だけを言ったところで、問題は解決しない。

 なぜ、そこでブレーキがかかるのかというところが、解かれない限りは。

 

 私は、自分にも思い当たるところがありすぎて、胸が張り裂けそうだった。

 

 

 山脇さんと山脇さんの家族とのシーン。

 家族を作るためには、自分の、そして他人の人生の軌道を変えることを、少なくとも一度は決意する必要がある。

 子どもは、その決意をした親の背中を見ている。

 山脇さんの母親は、その軌道変更を、間違ったと認識しているかどうかは分からない。

 ただ、母親の内部に、ものすごい嵐が吹き荒れていることは容易に感じ取れる。

 悪いと思っていても、もうどうしようもない、どうしたらいいか分からないというところまで、追い詰められている。

 

 ひとりの人間の、軌道を変えてしまうことに、ここまでの荒れの可能性が伴うということ。

 

 そのどうしようもない事実に、小さい頃から付き合ってきているということ。

 

 お前はもっと自分勝手に、好きに生きたらいいんじゃないの、と山脇さんの友達は言う。

 その通りだろう。

 ただ、好き勝手にやった結果としての、嵐を目撃し続けてきた人間には、重たいブレーキが伴う。

 

 果たして、他人の人生の、軌道を勝手に変えてもいいものだろうか、と。

 

 

 その場で質問するほどではないかな、と自分にブレーキをかけてしまって、結局山脇さんに訊けず終いだったが、山脇さんは、この話を舞台化し、映画化することによって、他人との付き合い方、特に、核の部分への踏み込み方に関して、具体的な行動じゃなくても、心境的な部分でもいいので、どんな変化があったかを訊きたかったし、訊けばよかったなあ、と思った。

 

 

 映画とは直接関係ないが、私の母は、その軌道変更を、ずっと、

「間違えた、間違えた」

と言っていた。

 それを聞いて育ち、私は、

「じゃあ私だけは間違えないようにしよう」

と思った。

 つまり、人の軌道変更に踏み込まないことを、幼いときに決めてしまった。

 

 でも、最近は、そういうことじゃないんじゃないか、と思い始めている。

 

 先の結果が読めなくても、誰かが大事だと思ったとき、私には、他人の人生の軌道変更までを、含めて生きる必要があるのではないか、と。

 それがたとえ、大きな間違いを招ぶとしても。

 

 多分、良い意味で、私はこの映画をずっと引きずり続ける。