<809>「よだれという惑い」

 口が、おそらく、アいた。

 ただし、私は記号と、感情と、惑いが混ざりつつ、押し合いつつ、遠慮しつつ、ハタからこぼれてゆくのを見た。それはまた、考え難いよだれでもあった。

 よだれには名前がない。よだれとして毎秒々々流れ続けるものに決まった名前はない。そこで、透明さ、だったり、返答の拒否だったり、生々しい匂いだったりを、半ば強引に掴ませることとなる。

 よだれを垂らし続けて止めない人をマトモな人と考えることは出来ません。と。正確な、真っすぐな意見は、そこいらでしばらくの間、しん・・・という音とともに、のびた。誰彼の区別なく見ていて、緊張を取らされたあと、再び振り返る、どこへといってよだれだ。

  あれはいつまで流れ続けるのでしょう

 とは、もっともな問い。しかし私はよだれのことを真剣に考えたことがなかった。おそらく、止めてもいい。

 口が、しばらくして、閉じた。

 その瞬間から、発する言葉がどこへゆくのか。静かに考える時間が始まった。時間のなかでたまたま寝ていると、よだれがせっせと準備をする。わたくしには阿呆のポーズが必要であるらしい。それは賢さを裏切ったり、阿呆であるのにその上わざわざ必要のない阿呆のポーズをしてみせる、などということではないのだ。賢(い)阿呆の区別に関わらず、私には阿呆のポーズを決める必要があった。

 そのために、そのためにだけじゃないけど、よだれはよだれとして湧く 垂れる、何故か。惑うからさ。実は、惑いって気持ち悪いぜ、と示す必要があるのか。しかし、気持ち悪さは、ダメなことだったり、やめようぜ、ってことだったりする訳ではない。私には、よだれが必要なのだ。阿呆のポーズが必要なのだ。賢(い)阿呆であるということに関わらず、そんなことはどっちでもいいということに関わって。

  真剣に考えてみましたが、私にはどっちの方向がよいのか分かりません

 と、よだれを垂らして言う人がひとりもいない。それは変ではないか。惑いの匂いは生々しい。