私が物心が着いた頃にはもう、父のそういう姿というのを見ることはありませんでした。なんとか立ち直っていたのでしょう。
両親からすれば、ここから一生懸命やれば、子育ても大丈夫なはずだ、と思ったはずです。
二人の状況や張り切りを想像すると、やや切ない気分になりますが、そんな両親の奮闘に反して、私は、安心して親には懐かない子どもでした。
全てに対して、まず根強い不信があるのです。
私は何かを買ってほしいとか、やってほしいとかで、泣いてぐずったことがあるのかしら?
いとこが小学生の頃ぐらいでしょうか、私の家に遊びに来たことがありました。
皆で近くのスーパーへ行って買い物をする。
私と同い年のいとこが、帰り際、車に皆で乗り込む段になって、駐車場で座り込み、号泣していました。
よくきくと、買ってほしいおもちゃがあったのに、親にだめだと言われて、それで泣いていたのだそうです。
よくある場面ですが、泣いているいとこを、どこか遠い生き物のように眺めている私がそこにはいました。
私は、同じことが出来るかしら。
あるいは、ああやってぐずり、交渉に出る、などということを、一度でも想定したことがあっただろうか。
やや年月が経ち、大人になってから、私は母に、
「小さいころ、私はぐずって何かを買ってほしいとお願いしたことがあったのだろうか?」
しかも号泣して。
母も、これはまた不思議なのですが、いいや、あったよとか、なかったよ、などとは言わないのです。
そんなことよりあなたは、何かをやれと促しても、絶対にやらない、石橋を叩いても渡らない子だったのだ、という言い方をするのです。
私の頼りない記憶によれば、そうやって号泣して何かを訴えた場面というのを、どうしても、ひとつも思い出すことが出来ませんでした。
それは、そういう態度に出たとき、きっと私の両親なら許してくれるだろう、という信頼を、どこか底の方で欠いていたからだと思います。
同じく小学生くらいの頃は、週末に、よくキャンプに連れて行ってもらいました。
キャンプですから、自然豊かな場所を選びます。
あるとき、キャンプ場ではないのですが、その週末のキャンプの旅の途中、ごうごうとものすごい勢いで流れる川の近くまで行ったことがありました。
しかし私たちが立っている場所というのは大分高いところで、川に近づくといっても、その崖ともいうべき場所の、縁のところまで行かなければ、遥か下を流れる川を、眺めることが出来ないのです。
両親は、せっかくだからその縁のところまで行って、川を覗いてみようと言いました。
私は、高いところがこわかったので、見なくていいと言いました。
すると両親は、大丈夫だから、しっかり手を掴んでいてあげるから、覗いてみよう、大丈夫だよ、と言いました。
私はこのとき、本当にこわかったので、絶対に崖の縁まで行きたくなかったのですが、泣いたり、逃げたりすることが出来ませんでした。
それは、両親の訴えを断固拒否しても大丈夫だ、私は見捨てられない、という信頼感を、まるで持てていなかったからです。
その拒否の先の、旅路や、家に帰ってからの時間の方が、こわいと思ってしまうのです。
結局、手を掴んでもらって、崖の縁まで行き、遥か下を流れる川を、こわいからチラッとだけ見て、なんとかやり過ごしました。
その間も、私は、手を掴んでもらっているから大丈夫だ、とは思えず、
このまま私は川の方へ放り出されるかもしれない。しかしそれも仕方ない。本気で逃げなかったのだから、諦めよう、と考えていたのです。
不思議なのは、両親はおそらく、私が断固拒否しても決して見捨てたりはしないし、また、川に放り投げたりすることもまずあり得ないことであるのに、そして、私もそれをなんとなく分かるのに、それでもなお、芯のところではその疑いを、決して捨てきれなかった、ということです。
だから、幼い私は、そのどうしようもない瀬戸際で、両親を信頼したのではなく、恐怖感を表明することを諦めて、崖の縁に臨んだのです。
私のその不信感は、親にとり、何故か懐いてこない、応えない、一種の気持ち悪さとしてじわじわと伝わっていったのでしょう。
これも、小学校の低学年ぐらいのことだと思いますが、テレビで、ある殺人事件のニュースを家族で見ていたことがありました。