<1863>「生活の緑」

 今にまはだかになりその時刻へ来る、、

 いつもそこに肌が出て、

 次々に合わさり、

 次々に見えなくなっていく、

 はしゃぎ、、

 ひとが次から次へとはしゃいでいるところへ続いてきた、、

 私は人間だ、、

 そこで生きていたら皮も剥がれよう、、

 ひとつの糸になろう、、

 糸になって水へ浮かび、

 色がにじみ、

 ほぐれ、、

 ただもう流れの一部となる、、

 流れの一部となり四肢はもう無辺際にのび、、

 あたしは肌の色が変わる、、

 

 どこまで行くのか、、

 その日の肌の冷たい感触に、、

 私はどこまでも目覚めていた、

 私はどこまでもここで呼吸をした、、

 あたしはほつれてどこへ、

 かの糸のにほいも今は紛れて、、

 わたしは生き物の集まりから生まれる、、

 うっと盛り返す呼吸を確かめて、

 またそのなかを泳ぐ、、

 またそのなかを揺らぐ、

 いちいちが肝要なものへ、

 参じ、あれこれ、、

 生じ、いろいろ、、

 ものごとも、かく色づき、それから正面へ、、

 地の肌はここで振るえて、

 様子もなにやかやでつながること、

 私はここで生きて踊りを成そう、、

 諸々、過ぎ、、

 私は同じ壁を、触れた、、

 それは冷たく、

 静かに黙り込んで、、

 行き交うものごとの粒の一切を、、

 確かに吸い込んでいる、

 

 今にましろへ、、

 順次滑り込み、

 順次回転してくる、、

 あたしはどこまでもその道を得、、

 この豊富な静かさのなかに身がなびくままにした、、

 ここへ伝わる、、

 一人の姿勢、

 私はじっとその粒の行き交いを見つめることにしました、、

 この時刻に、

 得体の知れぬ気分が走り、、

 とまどいながら翻弄されたままでいる、、

 なにをか得、

 なにを見、、

 知らぬ肌の記憶のなかへ、

 どこまでものびるとき、、

 私は、これも生活の緑につらなるものだと感じている・・・