<1757>「身体が遊んでいる」

 その肌に立って、迫る。

 私がその肌の中にあった、ト、、

 ひとり聞かされて、

 ひとりで声を、ころころと転がし始めた、、

 だわだわ、

 ダワだワと粒が、

 しきりに湧いて、

 生命時、無水の、響き、、

 そこに転がる、

 そこに出でてよ、あなたの声の、、

 その内的な閉じ方をここに見た、

 見た、から、華、

 見て、それは、砂粒、、

 砂っ粒の声は響く、、

 無水の感銘のなかに居て、、

 響く、響く、内側、、

 だいだらだとそこに映すヒのさま、、

 

 私は、愛情に対して嘘だと感得するものではなかった、

 その響きについて、、

 何らかの受容器がないものだから、

 その響きをきいて、、

 即座に交遊の幕を下ろしてしまう、、

 おなかいり、

 また平生の話にかえればそこからまた華やいだのだ、、

 こんな響きのない場所だったら、

 こんなことに触れる時間のない場所だったら、、

 私は、愛されることが人間の一大事であるなどとは嘘だと思う、

 私は、愛することを一大事のように言うのも嘘だと思う、

 空気の粒がびたり、と閉じられて、

 窮屈さを覚える、、

 それよりも私はひとりで地上面に吹く風に紛れて、

 過去、点の風景とまっすぐに繋がり、

 身体が遊んでいるあの静かな時間が、、

 いつまでも続けば良いのに、と、

 ここに一大事と大袈裟に構えることもない、

 心地良さの全てがあるのに、という、、

 幕の中の風景を、

 静かに呉れたものに、

 また長く頭を下げる、、

 

 私は粒に、粒は私に、、

 遠路から、吹く、吹く、特に吹く、、

 おぼえてしまったものに小さな身体をつけて、

 そこからばらばら、

 祝福から離れて、

 ここがただの心地良さになったら、 

 そのものそのままになったら、、

 愛しているなどという言葉を一切容れさせずに済んだら、

 私は、嬉しいと思うのも忘れて、、

 どこまでもどこまでも行くだろう、、

 どこまでもどこまでも転がるだろう、

 内心の響きと、そこで打って、、

 遠路から、そこへ、、

 当たり前に呉れる、身体になるのだろうと思う。