<1560>「私はまた波の熱で」

 明らかなものか、どうか、目に、映像のひとつ、映るでなしに、、

 ふいに長い時間を、伝った、、

 私が向こうから、それで、確かめるのです、、

 それで、ありたけの姿勢を、そのままで、確かめるのです、、

 次第に膜が、膜が来て、

 過ごしようと呼べるものの、全部を包んでしまうのでした、、

 もう、そのなかで、身体は続けざまに響かせてゆきます、

 (あ、そうだ、情感が移り、揺らいだ、、そのさま、そのさま、真正面で見ていた)

 明らかな日に、まともに居たのです、、

 

 少しく残ったと思い、続けざま、、

 次から次へ、幾分か、蓄えたまま、

 あたしは、このなかへ含まれて、、

 独特な響き方へ長いあいだの身体をさらしている、、

 そこで、お互いに幾分かずつを持った、

 有形無形の、、

 それで、ふと隙間、音もなく、あたりまえに明らかになり、

 ここに続く道はなんだろうか、、

 私は、そこで外側の人になって、、

 そのものが持つ香の全体を発見し、

 嬉しくなっていました、

 嬉しさがそのまま身体のなかで小さな波を打ちつけ、そのままで続きます、、

 ふいに、その幾分かは明かりを消し、、

 当座の匂いへ温度感の変化もなく滑り込んで来ると、、

 ここでの呼吸が大きな動きを持ちました、、

 生活は、寄せて、寄せて、増えてくる、、

 次第、次第に、増幅し、

 その時間関係の戸惑いを、

 ここへ、あらわにするのだと思えました、、

 

 現在時のなか、ひやり茫漠とした、

 肌質へ、、

 じっと脂汗をかいて同居させてもらいましょう、、

 その肌質の言葉のなかに居るとき、

 その中身、大いな真黒の入り口、、

 明らかに穴のアき、どこへ向かうかしれない、、

 だんだんに、粒になり、だんだんに混ざるための、

 身体の仕方を、現在時は知らないだろう?

 いや、知っているのか、、

 ここは空気を出し入れする盤面なんだ、、

 それは、生活熱のありかたを通してみればすぐさまにまったくに分かることでした、、

 それは、分かられてもいることでした、、

 野やら、草木、いつやら知れないもの、徐々に混じり、

 少しく含んで、かじり、、

 ホウという合図、、明るくした向こうがずいずいと見えること、

 ここへの呼吸を挟みますよ、

 ここへの姿とも、、

 私は、一時のように感じる、その瞬間時の把握をもって、この呼吸の出し入れの全体を考えられるなどとは思わなくなっていきました、、

 姿勢が動く、、私はまた波模様だ、、

 だんだんにこちらへおいで、私はまた波模様だ、、