<1285>「多量な朝、多量ないき」

 多量な朝にひらいた、、

 もう、もう、、 どっと、

 それは朝に、、

 色といっても限られていて、、

 特別、染めるものも多量ではないなかなのだ、

 だが、多量にひらいている、

 そこへいている、

 

 おのおのは、粒で、 きっと回転をし・・・ている、

 これが朝であることを人々が知るまえから、、

 身体が どんどんと盛り上がってきていて、

 変わらず、静かで、

 内的に光のはいる、、

 きっと所作と言えるかどうか、、 もう、全面的な光のあたりかたで、、

 当たり前の話法を蓄え、内側に展開する、

 それが、、

 ひとつ、受けているのか、迎えて、生起するところ、、

 

 生起するところにさ、す光、

 今はもう身体、今はもう巡っている、、

 巡ったものがまた全面的な朝にさらされてひとつの交通を緩やかに行うこと、

 はい、、

 飛び跳ねるだけのエネルギが全く無言で輪を描く、

 なにか、

 回転をしている目は穴より穴だと思う、

 僅かな音がする、

 さ、あ、

 

 ひといきずつの私、

 ひといきずつの多量な、 または無言、

 それを見て、、

 身体が生起したこと、

 渦を巻くような音がすれば、私も、 全面的な光のさ、しかたもまったく回転であるということに、

 (生起してしまった)、、

 常に、無言の渦は、飛び跳ねるだけのエネルギを持って、あれ、方向を持とうとするのだから、

 中心線が戸惑いであることに無理がない、

 無理もない、

 

 その眩暈のネが随所に重なりあってアンマリ静かだと錯覚すること、

 歩行がまた馴染む、

 次から次へ取り込まれては捨てられる、いや、身体から振り離されてゆくのを、

 また存分に鳴るというのを、

 あれ、鳴ったものはどこへ行ったというのだろう、、

 それはもう線的な振るえ、

 線的な拍子に、

 私はそれは輪郭をなぞるひとつの溝を作る身振りになっていると思った、

 溝だけで鳴るのだもの、

 朝にいて、

 溝がまた別角度から照られる、音が音が微妙に変わっている・・・、