<888>「おじやの笑みと舞踏」

 あっ あたしは おじやのなかだ おじやのなかに溶けて、まさにひとつぶ。

 ひとつぶは頬張る ひとつぶは頬張られない

 私は、そしゃく音を見た。それはそれは熱い、またためいきヲも飲み込むそしゃく音のなかに、私はひどく抱(だ)かれた。抱(だ)かれたのは私だ。

 あっ あたしは 夢見の渦(うず)だ 回転体の微笑みにつられてゆくからだ、首の傾げ、よくぞよく、含む、きりのない仕草の渦(うず)に、私は歩む。

 ためらいの、それはそれは謎めいた、思考の筋道に、舞踏に限りなく近い名前が揺らいでくる。瞬間人(びと)、それも延々の音(おと)の寄り添いト・・・。

 あっ あたしは 惑溺の園(その)だ 水音(すいおん)に平静の気持ちを譲り、豪華絢爛たる日‐ヒ‐ビト‐人、かれこれ、余りかたにその表情の映る・・・よィ・・・それもまたよィ・・・。

 動揺は不気味な唇(くちびる)だ。おそらく私が企てている話のなかに見え隠れする、その、唇(くちびる)なのだ。

 あっ あたしは 膨らんだ路地だ くぐり抜けて出る、その言(こと)の家(いえ)にたれをか滑り込ませる。滑り込ませた名の先に私は小さくぶら下がる。

 家庭内の音(おん)にひととき静止であることを止(や)めた窓など、特に在り方は私の眼を疑い、うやまい、裏切ればいい。私は微笑みを返す・・・。

 あっ あたしは 興奮するひとりの裸(はだか)だ 例えば興奮がひとりでに窓を叩き、私に驚愕する用意があると知るところ、それは新しい歩行のわざだ。歩行はただすぐそこを目指している・・・。