<867>「瞳の無批評」

 全身と、ストラトな響き。私の、より、常(つね)、の、過ごし。

 高揚の、反対物(ぶつ)をも、黙って通過サ、せねばならず、苦々しい場面とたったの一言が、涼しい一滴を、過ごしている(のならば・・・)。瞳は無批評じみてこなければならない。

 誰か物語る、先の、その惑乱は、よく映しておいて、集合のやかましさまで、しっかり取っておく。私は、日々が一言を見るその仕草を未だに知らない。

 おどろきのなかへ、無音の踏ん張りが用意されているならば・・・。外側へいくらでも戯れて書き継いでみせる、ことが出来る。

 鷹揚な日の繰りに、人(ひと)の、何気ない視線が向けられるとすれば、それは始まり方を、どこへか隠してしまう。不可分の、流れの語らいを僅かに割れて知る、ところの、物(もの)の倦み。

 まどろみ、のみの、隠されたステップ、を踏むとき、ことハきれい、ことハきれいとのみ、訴える・・・。

 私のひらべったい・・・よくは見、よく跳ねた動きで、ものの遠さへ触れるのなら、一言二言うん、あぁと、まるで回転のない呼吸が素早く通るだろう・・・。

 空気とともに投げは投げ、また何かしら収まるであろうことの、なかに、指(ゆび)はあり照れもあり、侵入のプロのある意味では鈍感さに辿り着く。

 不明の音が鳴っている。だがかつて、私は音の照れをあらかじめ知っていたことがあったろうか? ならば、私は不明の耳であるより、仕方がないではないか。

 よくは揉み込んだり、得(エ)、ひとかけのまぶしさ・・・。