たれかしらかざす声の下(シタ)へひとも知れず潜りこんでいる、その、軽やかな立ち方。
あたしは何に於いて・・・。
ひとくちのパン。記憶のなかに浮かぶ船。照明は等しく揺れている。
電車のアナウンス。風景は行き先を匂う。語らいのなかの唸りをゆく。ひとのふざけた声、声は線路の記憶を飲み込む。
あたしはお祖父(じい)さんと同じ絵のなかにいた。汽車の風景画。汽車は現実に代わり、場面毎のリズム絵になっていた。
お祖父(じい)さんは何も喋らない。
(汽車ってウレシイダロ・・・?)
(お祖父(じい)さん、汽車は記憶の画だね)
お祖父(じい)さんは何も喋らないが、あたしたちは汽車のなかにいた。切符の匂いが好きだ。
あたしの目の前を電車の匂いが走ってゆく。照明の等しい的白さ、その揺れのなかに私は、僅かに絵としての振舞いを残していた。
すぱびゅっオドリコ
あたしは、あたしはすぱびゅっオドリコ
そして日常線に乗る、幾重にも緊張感が。まだいくらか、情けの見える暗闇のなかに、日常線の小さな呟きが映ってゆく。日常線の鮮明な意識。私が特急の、飛び石的呼吸をもなぞるとき、日常線はかつての私をボウとしたリズムで表していた。たれか代わりに行方を確かめて、電車のなかに戻させるものがあったなら・・・。