<825>「釜の時刻が起き」

 以前のならえ、がまた、ならえの響きとなるとき。

  スタジアムの真んまんなかほど

 新たな呼吸を、只今張りつけているときの、静かな暮らし。

 私はここに現れる、そして、過去は大音響に引っ張られてゆくであろうことの、消えない混乱、なかの溜め息。

 例えばひとつの大声。避(サ)けようもないことであり、避(サ)け方、私の、裂け方? ともかくも、戸惑うから、スタ、スタと出てしまう。

 何を話しても名前にしかならない。ポケットのなかを探ってゆく。それこそ、何だか知らない。

  明朗であると嘘をつくな

 こいつの持っている顔とは何か。どこでどういう人間だ。そんなことでなく、ここは、現実の通過、バラバラに展開する夢、ブリコラージュ。ブリコラージュと、ブリコラージュの放棄(蜂起)。何故と問うごと、私は意味もなくそこへ流れてゆく。

  甘い露(つゆ)はただひとつの私の祈りになった

 行方はほっておかれて、しかし歩(ホ)は現実だ。どこまで行っても、ま言わば、現実であることを逃れ出られないのだから。しかし歩(ホ)が、だから想像のなかで浮いている必要もないと思う。振るう地面を見よ。地面は躊躇を隠そうとしないではないか。あらかたのものが染みてしまう、と、後(ゴ)、おのれの行方知れずの歩行者のなれの果てしかもとびきりの笑み、かの固い地面。アブストラクトも湯立つ。湯立って満開の笑顔。ふと風景の静かな寂しさを思った。

  ときにあの果ての、手のひらのたくましさ

 私が釜の中に似ていた。それは運命を忘れてあたたまりつづけていた・・・。