<811>「朗読」

 僅かにアいた口から小さな音の、連続(と)して漏れるとき。

 私には点と、丸の、その間の息継ぎばかりが触れてくる。

 私には、呼吸を間違った、という感じがあった。点と丸ばかりが文章であった。間にあるその文字は何であろう。例えば、飾りと、言えば言えた。

 まずまず音と言えばふいに止まること、も、別に停止をしたらいいのとの考えに振るわれていたのではない。

 ひとり、の意識のなかに、私が傾いてゆく、とも見えて、振るわれた景色は集中を、このたび点と丸を捉えてゆく集中へと動いていく。

 彼方で声。ほかどんよりとするしか、方法がなく、それは、念仏のリズムのように畳む。念仏のリズムのなかに畳まれて私は立っている感覚を失う。

 それはそれは長たらしい。

 私は呼吸法を間違っていた。私は長たらしかった。

 朗読してみせてくれと頼むと廊下へ出てくる。点が、声が、丸が、確かに埋もれていた。私の息のなかに知りもしない人を招く。招かれて音は、まず転べと、まず転べといっては喜ぶ。格別の表情はここで邪魔になる。

 速度はよく揉み込まれていた。私はその機械的な時間を楽しんでいたのかもしれない。あ、呼吸を間違った、と感じられる、唯一の機械的な時間を楽しんでいたのかもしれない。

 激しい響きがある。

 激しい響きがある。

 なるほど、いいんじゃない? そういうことだ。機械的な時間は終わった。その油の残りを楽しむ。どうやらしばらく廊下に立っていたようだが、点は、点で、繋がりを求める訳でもない。

 私はページ。

 私は点と丸以外のもの。

 繰り返さないのであればもっと長たらしく繋げてしまえば良かったのだが、私には念仏とリズムと呼吸と繰り返しと機械的な時間が必要になるのだ。

 声に出してみても大人しい。

 声に出してからが大人です。

 機械的な時間を味わうことによって大人になり続けている。