<719>「身体の安全な油断」

 おいそれと、止まるまで待つ。普通のなかで晴れる。途中でやたらに声を出し、どうなるかまで覗く。特に意識、これからは意識して、のぞかれるとなると、意図的に笑う。どうしたもこうしたもまた道沿いで、訊かれることもあっていざ知らずと振向く。緊張に、関係性を含めて、いまだ何か探っているようだ。

 さわりほどでもないさわりが、邪魔というほどでもない邪魔を、しかけていると、

「これは身体の無視か」

「これは身体に対する関心か」

というふたつの問い。またありそうもなく愉快に持ち上がる。と、どう見たらいい、つまり、良くて良くないというこの重なり合いを、ふざけてどう見たらいいのだという話、がところどころから集まる。当然静かになる、だけのタイミングもある。しかしその質問のなかにはどなたも含まれていないのではないかという疑いがかなりの数こぼれてくる。急に後ろ向きになるほど、勢いはバラバラだ。ひとつ声をかける、油断のなくなるよう願うのでなく、油断していても物事が大丈夫なように仕組まれることを願い、事実そのように動くことを心掛ける。

「ふざけちゃいけないのじゃないか」

という一連の音は、実は最初の頃から鳴っている。あちらで大きくなったのか、こちらが無理に聴きにいこうとしているのかそれは分からない。