<313>「追われ、跳ね返し」

 追い込まれることに何かの足りなさを感じる。追い込まれておいて足りないも何もないのかもしれないが、それは逃げ場が依然として見つかるから、という話とは少し違う。自分ひとり分の空間は決して失われない感じと言ったらいいだろうか。きゅーっと極端に押し込められていくと、ある瞬間にきてそれがポンっと跳ね返るのを感じる。追い込まれるというのが、外的状況に関係のない完全に主観的なものなのだとすれば、そういう跳ね返しの運動の後で、追い込まれ方の足りなさ、拍子抜けを感じてもおかしくはないのかもしれない。しかし外的状況をも含めて追い込まれていると言うとするならば・・・何かに気づいていない可能性がある。気づいていないことが果たしていいことなのかどうか、それは分からないが、それによって気持ちが軽くなっているのならそれでもいいのだろう。ただ、しっかりとその追い込まれを認識することによって、つまり気づくことによって、ぐっとそれを手元まで呼び込み、綺麗に跳ね返すことが出来ていたのかもしれない。何かの足りなさを感じるということの底には、しっかり跳ね返しそびれたという感情もあるのだろうか・・・。