嫌いだ、ということを大した事件だと考えるから、変に繋げようとして状況を悪化させたり、そのままに留まることを何か大変悪いことのように考えたりしてドギマギするのではないか。嫌いが発生してくるところを観察するというか、考えてみると、実に何でもない、ありふれた、日常に身近なことだったりする。曰く、仕草が気に食わない、声のトーンがいや、ちょっとしたタイミングのズレが何度か重なった等々・・・。あまり大層な理由から嫌いが発生していることは少ない(勿論こちらもそれなりにはあるが)。すると、どういうことか。それだけ身近なことからをも発生する以上、嫌いは、生まれては消え生まれては消えし、決して無くなることはないということだ。そして、そんなどうでもいいようなことが簡単に嫌いに繋がる以上、そのことで執拗に自己を批判したり、落ち込ませたりする必要もないということだ(別にやって悪いということもないが)。要するに、大袈裟にならなければいい。嫌いだから二度と目も合わさないとか、逆に、真剣にぶつかることで何らかの解決を見なければならないとか、そんな極端にばかり振れるのではなく、極端を一般的な解決と考えず、ただぼんやりと、
「あっ、なんか嫌いらしいなあ・・・」
と思っておく、それで済むときはそれで済ませてしまえばいい。勿論、真剣にぶつかり合って和解を目指してもいいのだが、和解はつまり仲直りであって、最初から仲の良い地点というものを持たなかった関係では、和解も何もない。