関心を持つ、ということについて考えている。というより疑問がある。というのも、
「AがBに関心を持った」
というように、状況説明として使われることは別におかしくなくとも、
「何々に関心を持ってください」
「あれやこれやのことに関心を持とう」
というように、それが意思の問題と絡み合ってくると、少々おかしなことになってくるのではないかと思っているのだ。
果たして、何もないところ(つまり対象に何の感慨も抱いていない地点)から、自発的(能動的?)に関心を持てるものであろうか。まず、対象物の力によって否応なく惹きこまれてしまうという受動的段階があって初めて関心は持てるのじゃないか。つまり、関心を持つというのは意思の問題ではあり得ないのではないかというように感じている。
自身の過去を振り返ってみても、このことに関心を持たねばという意思の領域から出発して、後に本当の関心を持つまでに至った事例というものがまるで見当たらない。自分で進んで関心を持って行ったんだと思い込んでいるものでも、よくよく考えてみると、まず対象物に否応なしに強烈に惹かれていくところから始まっているのが常だ。関心を持つに至ったきっかけが、そういった受動的な誘引に拠らなかった試しがない。