ひとりひとりが、自身の1番幸せな状態だとか、快適になる条件だとかを見極めるために自問自答することは大事だと思う。反対に、何が出来ていない状態を悲惨と見るのかも。
しかし、そこから出た個人的な結論や、とりあえずの答えを全体へと押し広げて、他の人をも見る尺度にしていくと、それはまず人物判断において必ず間違うことになると思っていい。
個人的な充足感、自足の感情というものは、人それぞれ絶望的と言っても良いほどに違ってしまっているから、自己の幸せの基準をもとにして、
「あの人とあの人はそれを達成できていないから悲惨だ」
と考えて回るのは、人物理解の上辺すらなぞれていないと言えるだろう。
全体を捉えるためには、そういった仮定がどうしても必要になってくるんだといくら頑張ってみても良いが、その仮定はひとりひとりの実情、目に見えてこない精神的な喜びといったものからは十分に離れてしまっているということを忘れてはならない。というより、打ち立てた仮定ひとつで全体を捉えることが出来るなどという幻想は早々に捨て去った方が良いだろう。