集団

 愚かな集団があるのではなく、集団が愚かさを免れえないのだ。ある集団の、愚かさに陥った原因は全て個々の人物にあると考えて、

「私たちはあの集団と違って愚かじゃない人たちが集まっているから大丈夫だよね?」

などと言い、悠然と構えていようが、集団を形成する限りは、そこにどんなにか優秀な成員が揃えられたとしても、愚かさに陥ることを避けるのは不可能である。

 何なのか、ということをはっきり順序立てて説明することが出来なくとも、誰しも必ずや感じたことがあるだろう。誰が言い出したのか分からない意見がスルスルと流れてきて、それが良くないということが漠然と把握できるのに、そのまま誰も止めようという気すら起こせず、何となくその悪い方向へ悪い方向へ決まっていってしまった流れを。後にひとりひとりになってハッと振り返ってみるまでは皆が気が付かずにいた、よく分からない決まりやルールの発生に、むしろ進んで協力しようとしていた全体の空気を。

 だが、集団を全く組織しない訳にはいかない。ではどうするか。集団という在り方が愚かさと不可分であるという認識から出発し、適度に散開すること、むろん、その集団を必ず解散しなくてはならないという訳ではない。集まりを一定期間継続していくのだとして、ひとりひとりが我に還ることの出来る時間を確保すること、むしろ我に還っている間の方が長く、集合しているのはほんの僅かの間だけというのが望ましい。