距離感の失敗

 種々諸々の、対人関係の問題というものがあるように、

「思われて」

いるが、突き詰めるところ結局、そこには、

「距離感の失敗」

があるだけだと思うようになってきている。

 つまり、解決されるべき何かしら具体的な問題があって、それでもって人間関係がギクシャクしているのではなく、ただ単に、距離感を間違えているだけ、ということだ。

 何故そう思うようになったのかというと、例えば同じひとつのグループ内で、あたかも本当に具体的な問題があるかのように見えている場合でも、ひとたび私が心的、あるいは物理的距離感に修正を施せば、たちどころに、

「具体的な問題」

という幻は消え去ってしまう、ということを度々経験してきたからだ。

 私と相手との間で変な音が鳴っていたら、それは張りすぎか弛みすぎかということなので、調度良い距離に直しゃあいいのだ。

 かつては、問題というものが厳として存在し、それを見たり見なかったりする私がいるだけなのだと思っていたのだが、幻なのは問題の方だった。あれは、あるような顔をしているだけだ。もし、これはおそらく不可能な想定なのだが、全員が全員、1対1の無限とも思える組み合わせにおいて、ひとつも距離感を間違えなかったら、対人関係の悩みという話自体、まるで無くなってしまうだろう。まあ、それが不可能だからこそ、

「具体的な問題」

は、

「あたかも本当に存在するかのような顔」

をしている訳だが。

 何故かは分からないけれども誰彼に対してイライラするというとき、他人ではなくてまず自分が、心的あるいは物理的距離感を間違えていないかを確認してみた方が良いだろう。また、別に嫌いじゃない、むしろ好きな人に対して無性にイラッとしてしまったことに対して、うわあと自己嫌悪に陥る前に、よくそのときの光景を思い出し、そこには一瞬距離感の失敗がなかったかどうかを点検してみる必要がありそうだ。誰でも距離感を間違われればイラッとくるものだから、そこで自己を責める必要はない。