自身の成熟のために他人を利用する

 以前に『うぶ』という題で書いたように、自身でも、成熟に関わるのは女性問題なのだと感じているし、また、そういったことを人様が書いているところもよく目にする。

 それは別に良い。だが、人を愛せない以上、女性問題を解決しようと躍起になることは、

「自身の成熟のために、他人を利用することになりはしないか」

というような疑問が、私の周りをくっついて離れない。

 おそらく、女性との交流を経て初めて成熟する、という趣旨のことを書いている人が想定している過程は、自然に惹かれあった結果として、のっぴきならない関係に入っていく中で、新たな認識を獲得する、というようなものなのだと思うが、私はまず、自然に惹かれあって、のっぴきならない関係にまで突入していける可能性が著しく低いので、そこへ来て、成熟するという道を求める場合には、

「あたかも自然に惹かれあったかのような関係」

を捏造(自らを騙す、あるいは自分と相手との双方ともを騙すことによって)していく必要がある。しかし、それは明らかに良くないことなのではないだろうか。

 そんなことをするぐらいなら、認識も未熟のまま、人間的にも未熟なままでいる方が、まだよっぽどマシなのではないか、というような気がしてならない。