サボる

 サボる、それも徹底してサボるということは難しい。どうしても事に臨めばのめり込むし、同じ動き、働きを繰り返していれば、いくら気持ちを緩めようとも、身体は丁寧に習慣通りの動きを辿ることとなる。また、物事を続けているうち、自己流のルールが勝手にいつの日からか持ちあがってくるという過程で、そこから外れないよう執拗に自己が自己を監視するというリズムも生まれてくるから、なおのことサボるというのは難しくなる。

 とは言っても、学生時分は部活をよくサボった。サボったのだが、顔を出さないとかそういうことではなく、なんだか中途半端にサボっていたのだ。これもまた徹底してサボるのが難しいが故か。練習には出るし、試合にも参加していたのだったから、大胆にサボれなかったのだ。

 そういう月日を振り返ってみて、

「もっと大胆にサボれば良かった」

というようなことを夢想することがたまにある。練習に出ながらダラダラ適当にやる、とかではなく。試合の日にどこか遠くまで旅行に行ってしまうとか。まあ、そういう大胆なサボりもあったにはあったのだが・・・。まあ、頻度の問題だ。もう少しそういう機会が多かったら良かっただろうな、ということである。