文献や、実際に話されている姿を目にして、
「わあ、ちょっとこの人はすげえや」
と思わされてしまう人でさえ、何がしかの救いを求めずにいられないのは何故だろう。
おそらく、救いのようなものなんて嘘だよと、私なんかよりも容易に気がついているはずなのに、それでもどこかで、拠り所を探しているように見えるのは何故なのだろう。
「とりあえずは、現象というものがあるだけのように思える(厳密に言えばそれも確かではない)」
ということだけでは飽き足らず、やれ、
「人生とはこういうものだ」
「これを信ずるしかない」
「所詮この世は○○だ」
と決めつけて、そこに救いと安らぎを求め、もたれかからずにいられないのは何故だろう。
自身も、
「人生は所詮虚無だし、どうせ死ぬまでの暇潰しだ」
という観念に寄りかかっていながら偉そうなことは言えないが、私は、そんな観念に寄りかからずとも人間は生きていける、つまり救いや安らぎなどなくても生きていかれると信じている節がある。それなのに、どんなに凄いと思われる人物でも、何かの観念に寄りかかって生きている。寄りかかることは不可避のことなのだろうか。どうもそれでは悔しい気がする。