傾いていくことは、基本的に楽しい

 何か、物事に熱中している様を、

「傾倒する」

などと言いますね。傾き、倒れていくことを、熱中の例えとして使ったのは非常に上手いなあと思うのですが、というのも、何でも良いのですが、個人の思想や主義主張、世界観などに関しても、特定の方向に傾いていくことは、基本的に、非常に楽しいことなのです。また、暗い話をよく話している人は、本当に性格が暗いからということだけではなく、そういった話が根本的に好きなんだ、という部分がかなりの比重を占めていると思います。

 何を危険なことを言っているんだと思われるかもしれませんが、私は、

「傾いていくのは楽しいからだ」

ということを認識していない方が危険だと思います。特に、傾いている当の本人が、

「私は非常に崇高な信念をやっている」

と思っていて、その方向に傾くことの根本的な楽しさに気づいていない場合があります。その場合、自分に賛同してくれない人間が、何かものすごく悪い奴のように見えてしまい、後々トラブルに繋がりかねません。もし、自分が楽しいからこの方向へ傾いているということを知っていれば、賛同してくれない人達に対しても、

「ああ、あの人達はこの方向に傾いていくことを楽しいとは思わないのか」

と思えるので、衝突は避けられます。

 そして、忘れてはならないのは、私たちも程度の差こそあれ、例外なくどこかの方向へ傾いており、真っすぐ立っているつもりでいても、その実かなり倒れているということです。何故これを忘れてはいけないかというと、各々の楽しさに応じてどこかしらに傾倒しているのにもかかわらず、自分は真っすぐだと勘違いをして、他人に自分の立場であれと強制することほどタチの悪いものはないからです。

 ですから、傾いているものを目にしても、

「あんまり行き過ぎるのは良くないよなあ・・・」

とは思いますが、心の底から馬鹿にすることは出来ません。何故なら私自身も、自分で気づいているもの、気づいていないものも含めて、様々な方向に傾いているだろうと思うからです。