社会において一般的に行われている異性の所有、つまり、
「俺の女になれ」
であるとか、
「私と一生一緒にいてください」
というようなものに、どうも上手く馴染めません。
「異性を所有したい」
という欲が、無いとはっきり言えるかどうかは分かりませんが、とにかく希薄なんです。
ところで、この欲望は本能的なものなのでしょうか(本能というものが本当にあるのかどうかは怪しいところですが・・・)。それとも、社会に拠って後付けされた欲望なのでしょうか。ちょうど、特に欲しかった訳でもないのに、他の人が持っているからという理由で急にそのものを欲しがり出すかのように。
そこで、一応本能で動いているとされている動物について考えてみれば、確かに、異性を奪い合って争う姿などが思いだされます。成程そうであるならば、
「異性を所有したい」
というのは本能的と言えるのかもしれません。
ただ、動物と言っても一概にはいえず、ボノボのような、異性問題で、所有を巡って激しく争うといった意識の希薄な種もいます。
しかし、ボノボは非常に高い知性を持っているので、異性を巡って激しく争う動物とは、単純には比べられないかもしれないということもあります。
と、ここまで見てきて、私はこの、「知性」というのがひとつ厄介なもののような気がしてきました。おそらく、性行為が単純に種の保存の為のものであれば、どうしても、異性を争いの末に奪わなければならないですが、種の保存を遂行するために性行為を行う過程で、それ自体に快楽があることに「知性」が気づき、では快楽を得るためだけに性行為をしてみよう、という変化が起これば、別にそこまで、異性を奪ってでも所有しようという意識は出てこなくなるような気がしてきました。
ですから、人間だろうが動物だろうが、
「種の保存」
という機能がある以上、
「異性を所有したい」
という欲望は半ば本能的に湧いてくるけれども、「知性」によって性行為それ自体の快楽に気づいた種は、
「わざわざ所有しなくても・・・」
という気持ちが芽生えだすのではないでしょうか。
よって、私は、種の保存をしたい、またはしなければならないという意識が希薄であるために、必然的に、
「異性を所有したい」
という欲望も希薄になっているのだろうと思います。