恥ずかしいのを、取り繕ってしまう

 何か、恥ずかしいと思うようなことがあるとつい、

「別に、恥ずかしくもなんともないよ」

というように取り繕ってしまいます。勿論、

「恥ずかしい」

という感情自体、あまり心持の良いものではないということもあるのですが、何よりも、恥ずかしがっているところを他人に見られたくないという思いの強さのあまりに、ついつい、恥ずかしさを無理に隠すような行動、言動を取ってしまうのです。

 そうしてしまう根底には、

「自分は、あらゆる場面で、他人の目に見栄え良く映っていなければならない」

という、自分に対して、半ば無茶な要請をする声の存在があります。しかしどんなに凄い人であっても、完璧に見える人であっても、恥ずかしい部分、側面というのは必ず持ち合わせているものですから、私が、常に恥をかくことなく見栄え良く映り続けるというのは不可能ですし、また、そういう側面はあって当たり前な訳です。そこをあえて無理やりにでも、見せないようにと隠そうとすれば、余計に不格好になってしまうでしょう。ですから、本当はそういう部分を隠してもしょうがないと思うのです。

 ただ、確かに、前述したとおり、

「恥ずかしい」

という思いは、あまり良い心持ではないですから、どうしてもそれを避けるように、隠すように努めてしまうというのは、ある意味仕方のないことと言いますか、別に悪いことではないのかもしれません。

 そういったことを理解したうえで、でもやはり、

「恥ずかしい」

という感情のうちに留まり、素直に照れている人の方が格好良く見えるし、私は、そういう人の方が好きです。ですから、なるべく自身も、

「恥ずかしい」

という気持ちを、あえて不自然に取り繕うことなく、自然に、恥ずかしさの只中にありたいと思うのですが、なかなかそうやすやすとはいきません・・・。