<829>「煙のなかそと」

 六度目の語り。あなたは口の外(そと)。あなた語るほかないとこころえ、ままよとまぶすひともの。

 二日目の朝。私は訳もなくここへ長くいるのだと思う。しかしその外(そと)をゆく人々の震動が、今朝の台所の考えを逸らす。

 おらばよい。おらば漏る。ものと言えねども静かに通(かよ)れ。

 通(かよ)らしの朝のじたばたしたる騒ぎ、靴裏のきりのなさ。水のと、駆け出しの木、の途方もない長さ、僅かに光る歯。

 歯並み、と言えども混合意識のさなかに、きらきらひらりときらめく、またその眼差し、おもいまぶたの真裏にかすかに残る考えやためらい、種々の感情の余韻。

 欠けば欠けこの間(あいだ)に、ひねりと、それ見せうれば、欠けたままの裸(ラ)の意識に再び去る。

 暮れの意味が隙間から漏る。何故か大騒ぎ、ひどく似合わずにまたそれもいくらかの運動ではあった。小さな相談事のちょうど真中(まなか)を伝ってゆくよう、それと、むつかしい顔ぶれのそこへすっと潜ってゆく。

 大胆な顔と互いに行き来を繰り返すことで、帰りの歩行は薄闇のなかで久しく明るい。わざはなし、ためらいは逆に人の背を押して、酔っ払いの態(てい)、ふらふらと歩み出たはいつかの意識の人。意図の感慨。むせた驚き。いつのどなたからか知り得ず誰か彼とかぶさる。一枚、二枚と衣裳、私の袖のなかへあくがれや驚嘆の匂いを連れ戻し、ひとりスス・・・と飾る。あなかげりや。わざとらし、蓋とて持て混ぜて粋なほの煙りの彼方、あなた見よ、そこへほとばしる秀麗な羽織。

<828>「音と匙」

 くり抜かれた欲望のなかに、たじろいで待つ。誰がこの根(音)を嫌ったろう。

 あたしはあたしのなかの屈辱を不思議そうな目をして見つめている。

 見知らぬ人々の声が空洞のなかで響き、ぼんやりとした、残留物の、それを知らず呼吸する。

 本当は、この場面に、言葉は必要ない、いや、そぐう言葉を持っていないので、ついでに、声は、残留物的たる・・・。私は首を傾げた。

 私の声は匙を投げていた。そして、より、より低く伝うことを求める。どことなく絡み、ただ涼しい道。

 おそろしげにただ無意識の集団の代弁者。震度はお前の先にある。ただ、冷静たるこの涼やかな道を低く、低く表すその一連、を慎重に眺めている。

 疑いを抱かない声はきけたものではない。

 耳を塞ぐのでなかった。全体的な軽さ、魅惑的な軽さを吸っていた。

 ひと抱えの意図が爆発的な夢をみるとき、あえて私は身体的な遅さに与(くみ)する。いちもんじはその一歩を慎重に下ろさねばならない。

 土は染みる。土はいちもんじの踏み足を一度も予期しなかった。それで、いくらも柔らかさ的言語たりえた。色に表れている。

 あたしがうずもれる瞬間のいちいちをただの感慨だけで伝えよ。見事に塵となり見事に屑となる。興じてただ移ろいはひらめく。あなたがたが低さに与(くみ)しただけ私は外側に向けて開いていたと。その咲き声は全て新しい・・・。

<827>「汽車が見える日へ」

 たれかしらかざす声の下(シタ)へひとも知れず潜りこんでいる、その、軽やかな立ち方。

 あたしは何に於いて・・・。

 ひとくちのパン。記憶のなかに浮かぶ船。照明は等しく揺れている。

 電車のアナウンス。風景は行き先を匂う。語らいのなかの唸りをゆく。ひとのふざけた声、声は線路の記憶を飲み込む。

 あたしはお祖父(じい)さんと同じ絵のなかにいた。汽車の風景画。汽車は現実に代わり、場面毎のリズム絵になっていた。

 お祖父(じい)さんは何も喋らない。

 (汽車ってウレシイダロ・・・?)

 (お祖父(じい)さん、汽車は記憶の画だね)

 お祖父(じい)さんは何も喋らないが、あたしたちは汽車のなかにいた。切符の匂いが好きだ。

 あたしの目の前を電車の匂いが走ってゆく。照明の等しい的白さ、その揺れのなかに私は、僅かに絵としての振舞いを残していた。

  すぱびゅっオドリコ

  あたしは、あたしはすぱびゅっオドリコ

 そして日常線に乗る、幾重にも緊張感が。まだいくらか、情けの見える暗闇のなかに、日常線の小さな呟きが映ってゆく。日常線の鮮明な意識。私が特急の、飛び石的呼吸をもなぞるとき、日常線はかつての私をボウとしたリズムで表していた。たれか代わりに行方を確かめて、電車のなかに戻させるものがあったなら・・・。

<826>「白と緑の日」

 私のなかを緑色の直観が走る。資材も溶ける。人間も溶ける。私の生の長さと歩調を合わせるのではいけない。千年、万年単位で建ち続けなければならない。私は建物が欲しい訳ではない。つど死ぬつど死ぬ、それがまた、ひとかけらの木、その節(ふし)、小さな空間になり、虫は(それは人間でなくともよい)、光り輝くあの辺りへ、寄らばどうなるのか、知っているのかどうかが問題とならない。あそこで死んだのは間違いない。しかしそれは、光り輝く建物の名前だとしたら? 個人の幅を飲み込み飲み込み膨れ上がったあの腹中に巨大な建物の呼吸が映るとしたら? 私でもそこに飛び込んでいくだろう。だから、四十年隣の小屋で死んでいくものとにらめっくらし、頭上へ歓喜とともに運び続けた。死んだ木は人間を運んでいた(人間が死んだ木を運んでいたのではない)。着地点が姿をくらますことによりますます死人は生命に近づいていった。誰が生を続けているのかはどうでも良かった。イメージは全員を呼吸していた(全員がイメージを呼吸していたのではない)。むせ返るほどの連なりは、はて不思議に静かだった。そこでは胸が騒いだ。歓喜で爆発的な声を上げたくなった。だがそれは生え変わりの瞬間をまさに今目撃することによって抑えられる。ベリベリと何やかやの剥がれる音がし、高い温度的真っ白になっていることを悟る。それで私は光り輝くものとの同一、ああやって虫も飛び込んでくる、目の中に間違って飛び込んで来、そこからまさに中心運動、イメージの呼吸へと入ってゆくのを見逃さなかった。人々は行き過ぎ、時々立ち止まる。ちょうどひとかけらの木を、吸う音がする。ハッとして何かを思い出したような顔をする人々、そしてまた何事もなかったかのように行き過ぎる。さいわい、会話の端々が白くなってくる。ここは広場でなければならなかった。

<825>「釜の時刻が起き」

 以前のならえ、がまた、ならえの響きとなるとき。

  スタジアムの真んまんなかほど

 新たな呼吸を、只今張りつけているときの、静かな暮らし。

 私はここに現れる、そして、過去は大音響に引っ張られてゆくであろうことの、消えない混乱、なかの溜め息。

 例えばひとつの大声。避(サ)けようもないことであり、避(サ)け方、私の、裂け方? ともかくも、戸惑うから、スタ、スタと出てしまう。

 何を話しても名前にしかならない。ポケットのなかを探ってゆく。それこそ、何だか知らない。

  明朗であると嘘をつくな

 こいつの持っている顔とは何か。どこでどういう人間だ。そんなことでなく、ここは、現実の通過、バラバラに展開する夢、ブリコラージュ。ブリコラージュと、ブリコラージュの放棄(蜂起)。何故と問うごと、私は意味もなくそこへ流れてゆく。

  甘い露(つゆ)はただひとつの私の祈りになった

 行方はほっておかれて、しかし歩(ホ)は現実だ。どこまで行っても、ま言わば、現実であることを逃れ出られないのだから。しかし歩(ホ)が、だから想像のなかで浮いている必要もないと思う。振るう地面を見よ。地面は躊躇を隠そうとしないではないか。あらかたのものが染みてしまう、と、後(ゴ)、おのれの行方知れずの歩行者のなれの果てしかもとびきりの笑み、かの固い地面。アブストラクトも湯立つ。湯立って満開の笑顔。ふと風景の静かな寂しさを思った。

  ときにあの果ての、手のひらのたくましさ

 私が釜の中に似ていた。それは運命を忘れてあたたまりつづけていた・・・。

<824>「ひとひと無量の声帯」

 層・・・。段階、と、記憶、にもならない厚さ。無量の繋がり。とがった、また私の、知らない声が、増えて、各々の故郷、を求めている、ように見える。

 ただひとりの語りべ。場所、小さく私の腰に、手を添える。譲られぬ、その幕あい、あいだに眠る数々の部品、それでパーツ的ダンス。階段とて、厳しさの仲間に、謎めく頬に含まれまだしも、帰りの折、安定した、冷たさが触れている。肌に触れている。

  肌から下のささやき

 肌から下は暖色の向きを誤りここでひとつ粟立ち始めている。その温度的な声帯のなかに、疑いを秘めながら煙立つ。歌声。歌声のなかに眠りがひそんでいる。鍋や壁の、打ちつける音が聞こえる。私はこのなかへ座っている。意識はもとより透明へのあくがれであることを知る。

  透明さは私を解消する

 過去この揺らぎに複雑な眼を落とし込み、案内(あない)された場所へ溜まり淀む。おのれの爆発先を探して丁寧に声を積み上げてゆく。そんな、けなげな表情を噛んでふくんでいた。

 気がついたときに私は陽(ヒ)を尋常だと思うようになっていた。それは例えば大袈裟な、大きさであることをやめた。私がちょうど舌で確かめるぐらいにはなっていた。後(あと)にいびつなささやき。ひとりでに指の上を転がると、それは衣(きぬ)の魂としての言葉を探す。自分は覆いである、透明であることは求めない。覆いには等しく声帯としての心を求めていた。心はわだかまりを求めて嗅覚を揺らす。使われなくなった色の、底に溜まった水気のないひと声。そこは無尽蔵の始まりでもある。

<823>「手の中の熱帯」

 かずえ歌は続く。それはぼうとした、夜(よ)の入(い)り。

 まるでお互いの意識は、寂しく融け、方向性のない、剥き出しの音へ、全神経を集中している。

  ひとおつ、ふたあつ。

 飾り、必然性の匂い。暗やんであなたの恐怖に似た手、が、明かりの下で、ちらちら、ちらちらト揺れている。

  満つ、寄つ。

 当然(突然)、私は、これが谷底でなくて何であろうかしら、とふと思う。おそらく底の、いや限りなく深まってゆく、何(こ)とは(こ)言(ろ)え(よ)ず(い)、冷たい触感に、さびしい無言で応えている。

  いつ無うななや(乎)。

 アいた穴のなかほど、その側面を、両の足裏でつらまえ、底面と平行に、すうゥっと、一直線に伸びる。その私の姿が、軽やかに隙間へ、つど挟まるつど漏れ出でる。

  ここのところずっと

 ちょうど夜(よる)の方向へ、ずれようとするそのときの、異国の地の火踊りの絢爛、火踊りの狂乱が目に映り、口もとにまたじんわりと油の重たさが拡がってゆく。

 むずかしい暑さ。指のマから思考がにじみ出、蒸発してゆくのを感じる。機械音。機械音の多さ、それから油。油の重さ。

  充溢

 熱帯は狭くなり、ちょうど私の手のなかに収まった、と思うと、こすれた匂いのなかに垣間見える、苛立ちのあなた。回廊のひずみ、私の腕、放り出された暮れ方に、また感慨を溶かして混ぜ眺めている。

  自由に。