<2537>「人が見ているところ、見ていないところ」

 人が見ていないところで頑張っている、と聞くと、あなたはどう思うだろうか。

 

 人が見ているところで頑張るのは当たり前だけど、人が見ていないところで頑張っているのはすごい、と思うだろうか。

 

 こんなことを書き始めたのも、もし上記の感想が広く一般に共有されうるものなら、私の感覚はちょうど反対だな、と思ったからなのだ。

 

 ひとりを好む性格ゆえか、単に恥ずかしいのか、私は人が見ているところで頑張るのが苦手だ。

 

 昔はそれこそ、トレーニングをしていても、人が見ているというのが分かると、その状況があんまり嫌なので、すぐにおちゃらけてトレーニングをやめてしまうようなことをしていた。

 

 今は、例えばなにかやりたいトレーニングがあってそれをしているとき、人が見ていると、それによってトレーニング自体をやめてしまうようなことはなくなったが、それでもなるべく人目のつかない場所に移るようにしている。

 

 何が嫌で何が恥ずかしいのかは分からないが、とにかく人が見ていない方がトレーニングはしやすい。

 

 昔、中学生の頃だったと思うが、夜ご飯の前までに時間があったので、自宅の近くの階段でダッシュ練習をしようと思い立ったことがあった。

 

 初めのうちの心積もりでは、

「まあ、2、3本走ったら引き上げようか」

ぐらいのものだったのが、何か興奮状態に入ったのか、

「ちょっと行けるところまで何本でもやってみよう」

というところへいつの間にか思いは移っていた。

 

 それでしばらく何本か続けて走っていると、階段の上の方から誰かの声がした。

 同じ中学校の同級生だった。

 

 同級生は、ただ私を見つけたからちょっと声を掛けただけで、別に練習を馬鹿にするようなこともなかったし、そのままじゃあねと言ってすぐに帰っていった。

 そこで私は、何が恥ずかしかったのか、まだ体力も残っていて、しかも、同級生ももう帰っており、それに、さっきはどんどん何本でも走ってみようと思っていたのに、急に練習をやめて家に帰ってしまったのだ。

 

 見つかってしまった、という感じがあったのだろうか。

 

 だから私は、人が見ていないところで頑張る人ではなく、人が見ているところでも、きちっと自分のなかの決め事を決めた通りにトレーニングしている人の方をこそ、なんとなく尊敬してしまう。

 

 変に人に見せつける必要はないけれども、見られる見られないに関係なく淡々と努力出来たらなあ、と常々思っているから、その気持ちはなおさらなのだ。