<1729>「全部が身体になっていく」

 よく考えた時刻にはもう、一歩もいないのか、、

 私は、

 だんだん身体に近づいて、、

 だんだんもう身体の全部になっていくところだと思った、、

 そんな、

 いまから身体にひとつずつなるなんておかしな話じゃないか、

 と思う人はいたり、する、、

 

 ご老人、

 ご老人といったって、別に私に縁のない人でもなんでもないんだけれども、

 その自在さをなんとなく思い出していた、

 思い出して来たという方がいいか、

 ああでもない、こうでもない、

 ううんとこれはどうするべきか、ああするべきか、

 という日々の蓄積が、

 無限に溜まって、、

 一切の無用な揺れが、綺麗にカットされていて、

 自在になっていた、

 あそこまでスムースに、無駄がなくなってくるのを、

 私は、

 ほとんどが身体になって来る、

 と呼んでみたりするのだった、、

 あそこまで身体になれる、、

 全身隅々まで身体になれるのなら、

 日々の無限の蓄積も、

 悪くはない、どころか、、

 これはなかなかのものだと、嬉しい気持ちにもなる、、

 

 日々の無限の蓄積といって、

 それを感じるのはどこだろう、、

 それは現在地から過去を眺めればそうなのだけど、

 私はまだ無限ではない、

 ご老人は無限、、

 無限とは隅々まで身体になること、

 なんかこれ、良いな、と思い始めているのがよくわかる、、

 

 あそこにいたあの人もこの人も、、

 あんなところにいた私も、あなたも、、

 みんな生きてしまう、、

 みんな身体だから生きてしまう、、

 今私はこの運動が、

 精神が、なくなればいいと思っている訳ではなく、

 そんなものがないとか重要じゃないとかを言うつもりもなく、

 ただ、

 精神が隅々まで見事に、

 全部が身体になることを望んでいる、、

 人間が長い時間をかけて生きるとはそういうことなのかもしれない、、

 

 私が私を重ねるとき、、

 その音以外にはなにもないと感じるとき、、

 外もなにも、私はだだ漏れで、、

 重なるにつれ、身体に近づくとおもうとき、

 それは静かで、なかなか、良い、、

 私はあの自在さを何度か思い返す・・・、