かたまりのなかに静かに身をもたれかけさせていけば、
一秒、
それから増えている波、面の、、
そのまま行き当たる、、
増えているのだろうか、、
遠くの、振舞いの先で、、身体が、順に剥がれたまま、
それが幾度も日のなかに交替し、、
揺れる、ズレる、
とそのまま、、
新しく波が立つところに、、小さく歩幅を取り、、
縦横に巡っているものに対し、もういちまいの膜を、、
少し離れている、、
無し、ひろがりのなかの隅々にほうと目を入れ、、
目当てがないように、
目当てがなんなのか、、
響きのひらたさ、
諸方で身体が奪われていて、、
ほうという感じ方だけが、、
ここの空間にあった、
それを、ことあるごとに思い出していた、
強力なシーンは、どこかにはじかれて、、
私は、 人々がほうけた、、
一律の、、
長い響きだけで、現在時の描写を、覆われてしまってそのままに、していると不思議と心地が良いように思う、
そのはたたきの真正面へいつでも降りてゆけることを感じる、、
日が要素をそこだけに譲り、、
長い響きのなかで、、
身を持たせかけていると いつまでも巡り続けるものの居どころが静かに知れてくる、
騒ぎ立てることのない幾種類の長い響きのなかに、
このように着地して、、
長く、長く伝うと、
今の、全姿のなかに同じ光景を、
探って歩くような、、
身振りの癖が付いて、、
接触地点を探し出すようにして、
全ての体表面が黙っている、、
黙っている、、
何か印象のない、、
ただ僅かに埃が立ち、
どこまで運ばれているのかしら、
と、小さく思わないではないが、それは、
区切りを、線を無くして、景ばかり、ぼやぼやと、
反射する、反応する、、
また長い一片に参与するのを知りながら、今はまだなんの印象の移りも経験出来ないようだ、、
ところどころで送られていて、
それが、はや白い膜に、 映って、映って、、
今はもう身を軽やかに放ったまま、、
流れる、、
一切が黙した動きの少し外側で鳴っている・・・