<1163>「お前は」

 時々お前が静かに顔を出し、挨拶のひとつでも寄越すんじゃないかと思ってヒヤヒヤしていた。

 でもまあ、そんなことはない。

 そんなことはなかった。

 いいか、よく考えろ、と人は言う。

 な、そうだろ、よく考えろと言うんだ。

 しかしな、よく考えることとお前とは合わない。相性が悪い。

 よく考えていればお前は来ないのだし、お前が来てしまったとすればそれはよく考えていなかったからだと。そう言えると思う。

 おそろしいな、それは衝動だ。

 お前はしばらく、自分と、他人の放心を見届けることになると思う。

 今までにいくらも分からないことがあったが、こんなに分からないことに出会ったのは初めてだと、そう言って驚き続けるしかないだろう。

 どんな人とでも会って話せる自信がある、と言えば嘘をつくことになるし、意地の悪い人、嫌味な人とは出来るだけ話したくない。

 ただ、たといそんな人たちであろうとも、お前ほどに会い方が分からないことはないし、お前と会うより困惑するということもないだろう。

 わたしには、お前にかける言葉がない。

 出会える顔がない。

 放心よりほかの態度がない。

 

 お前もおそらく疑問に思うのではないだろうか。

 この放心したひとりの人は誰だと。

 ここにただ投げ出されているようにしか見えないひとりの男は誰なんだと。

 男はと言えば、

  「あ、ごめんなさい。間違いでした。あなたではありません。あなたはこことは何の関係もない人でした」

 と言って、この場を立ち去らせてくれる人、現れるはずもないその人を切に待ち望んでいる。

 しかしそんな人はお前と同様程度にいないから、ひとりでそこに立ちつくしているのだ。

 それにしてはあなたはいくつもの楽しみを持っているのではないですか、だって?

 それはそうだ。しかし、それは楽しくて仕方がないからではなく、楽しむより仕方がないからなのだ。

 

 実は、お前のことをよく考えているのではない。よく考えることがお前とは相性が悪いがゆえによく考えているのだ。

 長く長くそれを考えてゆく。

 しかしおそろしいな、お前は衝動だ。

 わたしはお前を何と言ったらいいか分からない。

 当惑そのものと言おうか、

 衝動だが衝動とは別のもの、

 非難の目つきを持たない非難、

 結びつかないもの、

 一番近い他人、

 揺れ、

 放心、

 目、

 目、、