<675>「初めの色」

 とても、あなたの楽しい緊張ですよと、あちこちに飛ばす人々がいて、私が大袈裟に出る、ということに対し、まあそれは空気だとして受け取られてもいいのじゃないですか、という感想に、いくらかの動きの軽さを見出す。こんなに、分かりかけて、ひとことが、集まりつつ移ろいのなかをしかめつらで滑ってゆくと、どんなにか、わざわざ、なぞり続けられるものとして出来上がってくるのだろうか。

 ちょっと、ここにひとつだけ置いておきたいことがある。試しに、普通のや、けむたいの、くすぐったいのなどが、ちゃんちゃらおかしく集まると、何がわざとだの起き上がって笑いたいのなんて、不可欠に、不可欠に口に出し回っている。明らかに、まくり上げられた先の、真顔、今度も素顔、の人だけが頻りに話しかけてくるとして、その状況は、言葉のなかで浮き上がる。

「あれ」

ま、どうぞ、ささ、こんなところでなんですこと、たくらみのなさを話すんですの、よ、ようよう、態度じゃないですか、態度がなんですか、同じ挨拶を交わすのが、そんなに不満なのでしょうか。日に日に、別の人へと、変貌していなければ何もかもが変わっていなければ、でもねえ、あたしはお芝居ではないんですよ、日常のなかの、そのまた日常と言って差支えないものなんですよ、あなたに何が分かるのかしら。

「私に分かるのは」

初めの、色。