<605>「沈黙者の光景」

 全体でないからこそ、この一区画の代表として、何かを述べているし、何か怒ってみたりもしているのだろう。一区画以上のものではない。しかしその一区画が、全体だとしたら。ほとんど全体と違わないものだとしたら。あくまでも全体を、志向するものであったとしたら・・・。現れて沈黙は深く、どこまでも深くなってゆくのだろう。言葉やその勢いは、どこへやられるのか。行先を変えるのではなく、ちらりとその表情を映すのだ。

 何故か、不可能な集まりだけがあり、通過する雰囲気があり、束の間笑いと、疚しさが浮かび上がり、顔を斜めに噛んでいる。退場者、それは幾度も招待され、最初からその役割を背負わされる、理屈の外の存在だ。この場合、沈黙にはまた長さが必要だ。そしてこう言っている、

「私の姿を断続的に浮かべよ」

と。