<51>「浮遊のざわざわとする感覚」

 何の為にというような空気が確実に抜け始め、明らかに途切れてしまっているであろうものが、何らかの連続性を保っていることの不思議さが、次第にくっきりと浮かび上がるようになってきた。絶対に反抗しないという態度は、反抗であることを免れているのだろうか?そりゃあ、私にだって反発したい気持ちはある。しかし根だ、根を同じくしないで、スイスイと漂う方がいいらしい。自分だけ隠れ家、休息の場、秘密のスポットを見つけたような気がして、そういう考えは不遜のようだし、もしそれほど不遜でないとしたら、私はひとりだけ取り分を多く貰い過ぎていることになるので、申し訳ないような気もする。それが勘違いであること、及び勘違いでないことを願う。

 いつかどこかのタイミングでドーピングをしたような感覚、この回転量は、私が生み出し得たものではないような、そう、私だけでは決して・・・。それは、別にドーピングでも何でもなく自然なことで、それが交流であり、他の人の目には何ら違反には映らないことである、ということが分かる。しかし、この葛藤は何だ、倫理観と言えるのか? 違反ではないのに?