<222>「ケチな顔つき」

 規則がある。それを皆が守る、が、たまに、忘れているのかあえてなのか知らないのか、そこに守れていない人というのが現れる。そういうとき、さりげない注意が添えられればそれで済むのだが、そこに留まらず、何か楽しいことを見つけたように、そういった違反を捕まえて、執拗に批難を繰り返すようなことをしている人がいたとしたら、それはとてもケチなことだと思う。ケチなことは嫌いだ。それで、このケチなことであるというのが大事なのだが、ケチはつまるところ性質のようなものであって、だから、悪いことだとは言えないということだ。つまり、違反を見つけて指摘するのは理に適ったことである。誰がそれを間違っていること、悪いことだと言えようか? ただ、ぼんやりとしていればもちろんのこと、普通にしていたのなら気がつかないようなものまでをも執拗に見つめて気づき、規則違反をじくじくと(これを、直接当人に伝えないで、間接的にほのめかしたりしているのなら余計にタチが悪い)責める、違反にふと気がついたからサッと注意を添えるのではなく、違反が起こる前から、そういうことがありやしないかと、半ば楽しみながら待ち構えている、それは本当にケチなことだと思うだけだ。そしてそういうときの人間の顔を、私は見たくない。