駆使している言語が同じであっても、翻訳、通訳が必要になることがある。言語以前の言語(それは感覚といっても良いが)は、人それぞれ違った形を示しており、全員が全員、他の人とは違う自分だけの言語を持っているとも言える。
そこへきて、国語などという国単位で使われている言葉が、なまじ個々人に特有な感覚を拾い集めた上で、上手く整理をつけているので、国語を駆使しさえすれば、完璧に自身の意向を伝えることが出来、また、同じ国語を使っている人の話なら、言っていることを完璧に把握できる、と思い込んでしまう。
しかし、国語というのは、まとまる部分をまとめて整理しているだけなので、随分便利であることに間違いはないが、自身の言語(以前の言語)とはどうしてもズレているのが通常である。そこで、きちんと把握するためには、国語を、自身の言語に上手く翻訳してみなければならない。
同じ国語を使っている者同士の会話なら、そこに通訳者を挟む必要はないだろう、と思われるかもしれないが、考え、スタイルが違うという問題以前のところで、そもそも言っていることが全く噛み合っていないという場面に立ち会ったことがない人はほぼいないだろう。そういうとき、通訳をする能力のある人が間に入ると、話がとてもスムーズになる。こちらの話者とあちらの話者、それぞれの駆使する国語の奥で響く言語以前のものを上手く掴み、そこのところのズレを直して線を通すようにするのがその仕事である。むろん、聞き取り手にその奥を掴む力があれば、その場面では通訳者は不要となる。