黙らせたい

 美しい文章を書く人でも、露悪的な文章を書く人でも、普通の文章を書く人でも、よくよく見ていくと、その文章の端々に、

「他の人を黙らせたい」

という気持ちが渦巻いていることが分かる。そういうページに何度も何度もぶつかる。表現が直接的か、間接的かの違いがあるだけだ。

 他人に黙ってもらうには、自分からまず黙ってしまうのが一番なのだが、得てしてそういう選択は取られない。

「ええい、黙れ黙れ」

と喚き散らして、他人に、より喋る機会を与えている。

 何故そうなるのだろう。書いていると自分が世界になるからではないか。そして技量のあるなしは関係ない、関係ないからこそ、あの人もこの人も、

「黙れ黙れ」

と触れ回っている。それで、効果があるのと反対のことをしていると知ってか知らずか、他人を黙らせられないでいる。

 しかし書けば書くほど黙らせたいという気持ちは募る。仕方がない、方法は二つだ。黙れ黙れというのをエンジンにして進んでいくか、他人というものをほとんど見ないか。