真理を追い求めるために、抽象度を高めていかなければならないという話にあまり合点がいっていない。具体を離れれば離れるほど、覆える範囲は拡がっていくのかもしれないが、その、極度に抽象化された地点で発見された真理(そこで対象として扱われている「人間」)は、翻ってみてこの私(私に限らず他の人にとっても)には何も関係のないものになっていやしないであろうか。
もし、到達できないとしてもあくまで追い求めようとするならば、徹底的に、
「この私」
へと還るしかないのではないか。(「この私」というだけではまだまだ具体性が足りないとすれば)もっと言えば、
「この身体」
へと還るしかないのではないだろうか。