「自分のやっていることだけが・・・」で書いたが、何もかもが嘘っぱち、虚しいもののように思える中で、では反対に、わずかながらも本当らしく感じられるものは何なのかを考えてみた。
そうすると、憂鬱な感覚、億劫さ、十分に運動した後のほんのひととき、睡眠などが浮かぶ。憂鬱、何もかもが嘘っぱちに感じるが、その感覚だけはどこか本当らしいということだろう。億劫もまあ、これと同様だ。そして、運動の後、完全に疲れ切っている瞬間、身体から立ち昇る蒸気には、どこか本当らしきものを感じる。寝ているときはどこに感じるのかと言えば、気持ちよさと、覚醒するときの不快さとである。気持ちよさで言えば、自慰、つまり射精もそうか。これは何か本当らしく感じられる。