一怠け者として

 ああ、今日もまた、暇が槍玉に挙げられている。謂れのない非難を浴びている。

「あんなことやるなんて・・・よっぽど暇なんだね」

「暇だからああいうことするんだよ」

ああ、一怠け者として、母なる暇が数多の批判を受けていることに納得がいかない。覚えず歯噛みする。

 悪事、迷惑それ自体、またそれを起こした人間に文句を言うのならまあ分かる。しかし、暇それ自体は悪くない。暇は土壌だ、大地だ。私のような怠け者を支えてくれている柔らかい基盤だ。暇は、決して悪事の原因ではない。暇はただの状況だ。それでも、暇が原因のように見えることが多々あるとすれば、それはまだ、暇の扱い方をよく知らない人たちが多いだけの話なのだ。暇が悪い訳じゃない。

 例えば、包丁を殺傷目的で使う人がいたとして、その場合はその人が悪いという話にはなるだろうけれども、同時に包丁も悪いという話にもしもなったとしたならば、それはお門違いだと言うことが出来るだろう。暇もそれとおんなじだ。