どれ程それを怖れているかを、朧気ながらも掴むこと

 怖い。やたらに怖い。でも私はそれを越えていかなければならない。だから、

「怖くない怖くない」

というように自身を持っていく。それを補完するために心身ともに鍛えていく・・・。

 しかし、いくら自分で鍛練を重ねようが、

「怖くない怖くない」

と恐怖を抑圧して無視してしまい、怖さの所在を見失ってしまうと、ふとした拍子にガツンとやられる。ガチガチに固めたはずの壁があっという間に崩れ去る。

 ならば、それよりか怖いことは承知で、そこから先へ進んで、

「私はどれ程それを怖れているのか」

また、

「何故それを怖れているのか」

を凝視する方が良い。そうすると、朧気ながらでも怖さの実体が見えてくる。そうしたら表れ出た実体をなおもまたじいっと見つめる。ときにはその朧気なるものが何なのかを考える。すると、ぼやっとしていたものがくっきりとした形を表してくる。

 形がくっきりとしてきたら、怖いのは依然として怖いにしても、私が怯えている対象はどんなものかがはっきりと分かるので、それなりに安心する。また安心するおかげで怖さ自体も少し小さくなる。

 そうすると、以前より小さくなった怖さを見つけてまた安心する。こうなってくればもう好循環だ。

 ただ、小さくなったからといって安心しきってはいけない。ここで、怖さが私の中にはもう無いというごまかしを開始すれば、また怖さは徐々に私の中で位置を占めてくる。あくまでも見つめ続けるのだ。