歴史の流れに身を置くとは何なのか

 私が個人的に尊敬している人、共感を覚える人などの口から良く、

「歴史の流れというものを意識した上で、その中にいる自分というものを意識することが重要だ」

という言葉が漏らされる。

 尊敬する人が発表する他の言説、記述などには共感を覚えることも多いのだが、どうも、上記発言の類だけは、イマイチ理解しきれないでいる。

 というのも、歴史の流れが重要だと言われても、何故重要なのかが良く分からないのだ。それは別に、過去の積み重ねを軽く見るということではないのだが、今現在の、「私という存在」に、歴史という流れを意識させたら一体どうなると言うのか、それが良く分からないのだ。その流れを意識して、その流れの中に私を置くよう意識したところで、何かが自分の中で変わったような感覚を得られる訳でもない。

 もしかすると、私の想像力の乏しさ、知見の浅さ故に何も感じないのかもしれない。だが、

「先祖をずっと辿っていけば、想像を絶するほどの昔まで途切れることなく続いている」

ことが分かっても、その歴史の重みというものが全く持って「私という存在」にのしかかってこないのだ。むしろ何か、私というものは、歴史など関係なくひとりでにふわっと浮いているような感覚が実感としてある。

 歴史の流れのなかに身を置くとは一体何なのだろう。そして、それが重要だと言われる理由は。いずれ分かるようになるのだろうか。人に尋ねてもいいのだが、大体こういう質問をすると、呆れたような、怒ったようなポーズだけ作られて、理屈で説明するのを上手く交わされてしまう印象しかない・・・。