「何故私は今、こんなにもしつこく鍵が締まっているかどうかを何回も何回も確認してしまうのだろう」
ということを考えて、おそらく、
「万が一にも開け放しになっていたら、見ず知らずの人の侵入を許すことになり、それはマズい」
という判断、危機感がそうさせるのだろう、それが過剰な確認を促すのだろう、と思っていたのだが、どうもそうではないようだ。
というのも、過剰な確認作業は、理屈ではないところで急に、パタッと飽きたかのように止まるからである。そして、例えば、鍵が急に気にならなくなったら、過剰な確認の対象は、今度は水道へと移っていくというような事になる。
つまり、
「確認したがり」
が発揮される対象には、流行り廃りがあるのだ。
「玄関の鍵を締め忘れていたら危ない」
だとか、
「火の元の確認を怠って、火事にでもなったら大変だ」
などという、合理的な判断故の確認過剰ではない。そうではなくて、今自分の中で、なんとなく鍵が気になっているから過剰に確認してしまうという、ただそれだけのことなのだ。
「鍵を確認するのが自分の中で流行っているから」
過剰になっているだけなのだ。どういうことだ。