文句を言われたことについて、こっちは律義に従って、言われたとおりに直した上でやっているのに、まだ何か文句があるのか。それに、言われた通りの方法でやっていたら、今度はその、あなたが指示した方法について文句を言ってきたりするのは一体全体どういう訳なんだ。私はどうしたら良いっていうんだ。
と、いうことを昔は良く悩んでいたんですが、どうも、何でもかんでも文句をつける人というのは、
「自分の中に確固たる基準があって、それにそぐわないと感じられる場合にだけ文句をつける」
のではなく、
「何だかわからないけど、ただいけ好かねえからとりあえず文句をつけたいという欲望があって、その欲望を満たすために文句を言える材料を探している」
だけなんだということに気づいてからは、いくぶん気持ちが楽になりました。
ですから、この人はただ文句を言いたいだけの人か、それとも自己の基準というものをしっかりと持っていて、その上で苦言を呈してくれている人なのかを見極めて、もし前者であった場合には、文句を聞き流すようにしています。そうしないと、彼らの、
「文句を言いたいから、文句を言える材料を探す」
という営みに、半永久的に付き合わなければならないからです。これには限りがありません。
その見極めが難しいんじゃないかと言われそうですが、案外に見極めは簡単です。ただ文句を言いたいだけの人は、文句を言えさえすれば良いので、文句を言う時、平気で発言が矛盾していることがあります。つまり文句に一貫性がないんですね。
「自分の中には何の基準もありませんよ」
と表明しているようなものです。
例えば、
「あなた太っているから、少しは痩せたらどうなんだ」
と文句をふっかけてきて、私がその通り少し痩せた場合、自分の中に基準がある人なら、文句を言わなくなるか、褒めるかのどちらかになると思いますが、ただ文句を言いたいだけの人は、自分の基準がなく、文句を言えればそれで良いので、
「少し痩せたからって何なんだ。」
とまた文句をつけてきます。