最近は、徐々にその意識が薄れてきてはいるが、かつては、
「何らかの条件でもって他人に認められる」
ということに、矢鱈にこだわろうとする意識が物凄く強かった。
だから、大学に合格したとき、
「良い報告が出来る。喜んでもらえる」
と思って、祖父の許を訪ねたとき、祖父が、大学合格という結果自体にはあまり関心を示さず、それよりも、私が訪ねてきたことそれ自体を物凄く歓迎していたことに、私は少なからず驚いた。
「こんなに良い報告を持ってきたのに、何故そのことはあまり喜ばれていないんだろう」
と不思議に思った。
しかし、それは今ならよく分かる。そんな条件なんて、どうでも良いとまでは言わないまでも、あくまでも附属物であって、主要なことではなく、孫である私が訪ねてきたことが何よりも大事で、それが主要なことなのだ、ということが今になって良く分かる。
条件はどこまで行っても条件でしかない。しかも条件はすぐに変わる。そんな、すぐに変わってしまう附属物なんかが無くても、祖父は、無条件で、私を受け容れてくれていたのだし、条件なんかいらなかったのだ。
このことについて、よく分かるようになったとき、もう祖父はいなかった。